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ダンガンロンパは最終章で今までの事件がつながらない

ダンガンロンパは逆裁との差別化を徹底していて、その極めつけが「最終章で今までの事件がつながらない」「伏線回収しない」「全部台無しにする」なのだと思う。
つまりミステリでありながら、クライマックスの盛り上がりを「伏線回収」に頼らないシリーズなのだ

クライマックスのエンタメ性を5章、テーマ性を6章と“分業”していて、
かつ5章の面白さの核は、常人にはとうてい思いつけないような「概念トリック裁判」にある。この構造がダンガンロンパ最大の個性だろう。
なぜならこの5章の裁判は常人には絶対に作れない。

伏線回収とくらべ、トリックで盛り上げる難易度は想像を絶するほどに高い
伏線回収は「技術」である。乱暴に言ってしまうと、伏線なんて息を吸うように張れるし、息を吐くように回収できる
しかしトリックは「アイデア」である。つまり再現性がない驚きなのだ。

(逆裁の最終話は実のところは伏線回収だけでなく、権力者を追いつめるギリギリの攻防(1-5)とか、サスペンス(2-4)とか、次々と面白い展開を投げてくる密度の高さ(3-5)とか、そういう別の柱との足し算で面白さが作られてるので、結局は逆裁の最終話も常人には作れない)

(ただし逆裁123の最終話は、巧舟氏のロジック、演出、伏線回収、テキストといった極めて高度な「技術」で支えられてるのに対して、
ダンガンロンパ2-5とv3-5は小高和剛氏の「アイデア」一本でブチ抜いている。つまり“常人ばなれ”のベクトルも対極にあるのだ)

「技術」は作れば作るほど磨かれるが、「アイデア」は作れば作るほど枯渇し、他者とのカブりも問題となる。
そのくせ凝れば凝るほどドラマから剥離し、キャラクターと分離する。
作家として「トリック」は圧倒的にコスパが悪い。

個人的な感覚だが、トリックを作る難易度が100とすると、プレイヤーの驚きは10くらい。
対して伏線回収をする難易度を10とすると、プレイヤーの驚きは100くらい
作者目線だと「逆じゃね?」と正直思う

ところがダンガンロンパはこのトリックでミステリ史に残るレベルの衝撃を残した。ふつうのトリックとちがい、2-5はトリックを仕掛ける「目的」に異常性がある。殺人の動機ではなく、トリックで達成したい“目的”だ。
だからトリックへの驚きが、犯人の人間性への驚きに直結する。

じつは容疑者xの献身、聖女の救済にも同じ構造がみられる。
どちらもトリックを仕掛けた“目的”に最大の驚きがあり、かつ犯人の異常性、人間性が強く出ている。
物理トリックだとこうはいかないのだ

例えば「斜め屋敷をフルに使ったスーパー壮大トリックでアイツを殺しました!!!」となると、その機械的なギミックには驚けても、現実と剥離しすぎて、犯人の人間性と繋がらない。というか、トリックへの驚きに、ドラマ的な驚きが含まれにくいのだ。

自分は上記のトリックが大好きなのだが、一方でキャラクター志向の消費者層には刺さりにくいだろうな、とも思う。
「物理トリックは凝れば凝るほどドラマと剥離する」とはこういう意味

容疑者xの献身やダンガンロンパ2-5は、どちらも「トリックすげえ‥‥」ではなく「犯人すげえ‥‥」である。トリックがキャラクターを色濃く反映している。だからトリック物であるにも関わらず一般層に受け入れられた。
この構造をトリック志向のライターは言語化しておいた方がいい

ダンガンロンパは差別化のために「伏線回収」すら捨てる徹底ぶりで、2作かけて逆転裁判とはまったく違う個性を示した。
「捨てる」というと語弊があるが、これほどの「差別化への執念」が、ダンガンロンパを「逆裁×0.7」ではない全く別のシリーズに押し上げたのだろう

(正直、台無しオチそのものは「差別化」とか関係なくて、単に小高氏の趣味だろうなとは思う‥‥)

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