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俺的、人生の価値観



こんばんは。
noteへの投稿は初めてです

"RED in BLUE"という天才なのかひねくれてるだけなのか分からない、世界で1番カッコいいロックバンドで歌を歌ってます。

僕はまだまだザッと平均的な人生の3分の1も満足に生きていないので
書く記事はきっと自己満足で超絶拙いですが

誰かの何かに少しでもイェーイってなれると嬉しいので、良かったら見ていってください。

初投稿にしては早速穏やかじゃないんですが、

最近、

父方のおばあちゃんが亡くなりました


暗。
初っ端にしてどんよりです。
でも見て。

末期癌で余命1年を宣告されてから亡くなる日まで約3年。

没、92歳。
大往生でした。

抗がん剤とか、積極的な治療はせずに、
おばあちゃんなりの自由で自然な最期だったんだろうと思うと個人的には良かったんじゃないかなーなんて思ってます。なんなら個人的にはそっちの方が長生き出来る気がしてる。寂しいけど、悲しくはないんだな。

なんでわざわざしょんぼりしそうな話題を書くかというと、

ふと

幸せって何だろう

って考えたからです。(漂う怪しいセミナー感)


20代も後半になってきて、
おばあちゃんをはじめ、家族や親族以外にも、そういう「お別れ」に巡り合う機会が昔より増えてきました。


その人とどれだけ親交があったり
仲が良くても、


その人の幸せ〜とか、考えてること〜とか、
とってもとっても深いところまで知れてるか分かんないわけで

凄く悲しくても、泣くくらい寂しくても、
超ドライな言い方をすると
やっぱり人と人は他人な訳じゃないですか。


なのでこういう時にこそ、
生きる理由じゃないけど、漠然と「自分にとっての幸せ」について考えてみると良いのかなあって思って今に至ります。

よくやく始まるです。よろしくお願い申し上げます。

〜自分にとっての幸せ〜

僕にとってのそれは、歌でありバンドであり、
それを多くの人に知ってもらえることです。

そしてもっというと、
その活動の歴史を気が済むまで積み重ねること!!

歴史って尊いよ。
歴史最高。

なんでかっていうと

誰にもマネできないからです

すごいでしょ。
歴史って唯一無二なんだよ!
誰にもマネできないんだよね〜。

大学生になったときに、
RED in BLUEというバンドをはじめてもう約8年?9年?

みんなでCDを作っては知らない土地までツアーしたり、メンバーみんなライブが楽しすぎて一時期は3日に一回ライブやってました。

お金も到底あるわけじゃないという、、、

(昔話みたいに言ってるけど今も基本的なことはあんまり変わってないです)

それから色々あって、

渋谷のど真ん中で流してもらったり、
バラエティ番組のエンディングをもらったりしたこともあったけど、

それでも僕らを知ってる人はまだまだ多くはないわけで。

でもでも、ライブにあししげく来てくれる人たち、曲を聴いてくれる人たちはいるわけで。

そして夢はまだまだ叶っていないわけで。
(地元で野外フェスやんなきゃ)

そうなってくると、辞められないわけです。
辞めたくないわけです。

ぶっちゃけこのご時世になって以降、
本当に前みたいに出来るのかな?
なんなら、やっていいのかな?っていう不安から、形を変えた方がいいのかなーって思って、RED in BLUEをやるやらないのミーティングをしたこともあったり。

僕から、「どうする?」って切り出したのもあって
前日に熟考したんだけど、
やっぱ辞めたくない ってなるんですよね。

そこで思ったのだけれど、
物とか形にこだわるから腑に落ちないんじゃないかなあって。

でもじゃあ何でやりたいの?と
もうしっかり成人男性なんだからちゃんと自分にとっての価値とか現実を求めなきゃ〜、と
そう考えたときに、

めちゃめちゃおめでたいかもだけど、
マジメに、

山あり谷ありのこのバンドの歴史ををもし売るなら

1億円はするな(俺が買うなら)


と思ってしまいました。

つまり超絶好きなんです。

歴史と経験が財産だな、と
真剣に思ってたことに、このタイミングで振り切ってみました。

まあそりゃお金がないと出来ないことって無限にあるんだけど、そんなの当たり前すぎだしわかりきってるわけでして。

長くなりすぎるからまたいつか別で書くけど、
これまで何があったかな〜って考えると
僕は本当に尊くてしょうがないんです。

だからまとめると僕は


物ってよりは、自分の、自分達の積み重ねてきたことが
とんでもない価値を生むこと

が自分の幸せだなあと思います。
物はいつか無くなるもんね。

とんでもなく煮え湯を飲んだ気がするこのご時世の2年間だったけど、

RED in BLUEはライブをやっていくことに決めたので、皆さん、またライブハウスで会いましょう。

いつも本当にありがとうございます。
酔ったぜ!!!!!!!!!!!!!


p.s
冒頭で
"その人とどれだけ親交があったり
仲が良くても、
とっても深いところまでは知れないわけで
凄く悲しくても、泣くくらい寂しくても、
超ドライな言い方をすると
やっぱり自分は他人な訳じゃないですか。"

って書いてたんですけど、
それって過ごした時間というか、"歴史"によってまたちがうと僕は思っていて。

自分のことを知ってくれてる、
なんなら思ってもないことまで知ってくれてるってなんとなく積み重ねの成せるワザだと思うですよね。

仕事、夢、恋愛、家族、
正解不正解じゃなくて「最高!」って気持ちの僕の行き着くさきは

なーんとなく、そんな気がします。
あと積み重ねられるって自分にとってそんだけ必要ってことだものね。

だから皆さんこれからも好きでいてください。
よろしくお願いします。

p.s 2

もっと余談「後悔なく死にたい!」
ってよく言う気がするけどさ、

僕は逆な気がしてて
後悔しながら死ねる環境の方が何となく幸せなのでは、とも思います。そりゃ内容によるけど。

僕ら欲の塊だから、
絶対やりたいことって尽きないし、

後悔しながら死ねる環境ってつまり
明日とか、先のことを考えながら死ねるってことだと思うので、

なんとなくめっちゃ生きてる感じがするなってことで。


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