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傲慢と善良

辻村深月の『傲慢と善良』を読んだ。


周囲の女友達が「めちゃくちゃ刺さった」と評する恋愛・ 結婚小説。
心身ともに健康的なときに読んだほうがいいよ、病んでる時に読んだらもっと病む、とのアドバイスを受けていたから、公私ともに落ち着いたこのときに手に取った。

内容について触れる前に、まず朝井リョウの解説がとても良かった。私は本編を読了後に解説を読んだのだが、まんまと辻村深月の別作品『琥珀の夏』をついさっき購入した。来週からの職場での昼休みも楽しみだ。

普段特に意識して選んでいるわけではないのだが、「陽キャ」が主人公になる小説を私は最近読んだことがない。読者の層に主人公を合わせているのだろうか。どちらかというと婚約相手の真実のような、内向的で大人しく、自分の中で考えすぎてしまうタイプの主人公が新しい世界に触れ、成長していくような書き口が世の中に多い気がする。
私が最初にこの本を読み始めて感じた違和感はここの新鮮さだ。主人公の架は学生時代の友人である美奈子のことを、最初に説明するときから「悪友」と明記している。ストーカーのことはどうせさえない草食系男子だと考え、対して自分は「彼氏であるオレ」。架のような外向的な性格は、小説の地の文での内部心情の吐露に向いていないように思える。じっくり自分の中で考えていそうな陰キャとは対照的な存在だ。しかし彼を主人公にしてもなおこの作品を成り立たせているのが、朝井の言葉を借りれば「人間心理のうちへうちへと進む思索」をエグいほど高解像度で描写する作者の力だ。

陽キャだろうが陰キャだろうが、どんな恋愛遍歴を持っていようが、誰しもが身に覚えのある感情が、暴力的な解像度の高さで描かれている。あまりにも殺傷能力が高い。文庫の帯も友人たちも「刺さった」と評するのはこういうことか、と理解した。もはや刺さるどころではない。丸裸の状態で作者に見つめられ、自分の過去も今の感情も抉り散らかされたような気分だ。

人と対峙するとき、思った以上に私たちは多くの情報を受け取っているのだな、と思う。真実の両親や小野里、かつての婚約者の見合い相手や友人と初めて会ったときの架視点の描写は、私たちの前にありありとその姿を見せつける。(以下、ネタバレあり)

人だけではない。架が訪れた群馬のこすぎモール、金居が選んだ店の喧騒、娯楽やステータスとしての車、日本家屋の家々の中に建つ洗練された写真館、高橋がフリマで買った100円のボアブーツ。
どんな場所でどんな人たちが何を思って暮らしているのか。その人々にとっての価値は、正義は。舞台演出によって、巧みに表現している。

自分はどれくらいの価値があるのか。それは、生きている社会によって相対的に測られる。生きている社会というのは、自分が置かれた場所という意味ではなく、自分が目を向けている世界のことだ。この世は確かに広大だが、それぞれの世界はそれぞれの広さを持つ。その世界が広い方が良いのか、狭い方が幸せなのか、それはわからない。
しかしどんな世界に生きていようと、これが幸せだと自信を持って言えることが、強さなのだと思う。それこそが他人に何を言われようと迷わない、自分の意志で生きるということではなかろうか。

私がこの本を手に取ったのは、この半年で自分が強くなったという自負があったからだ。内への思索を重ねた時間に感謝している。自分の意志の輪郭を捉えることができた今、この作品に出会えてよかった。



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