痛み✖️サイエンスとアート
YouTubeや本からの学びで
「あぁ、これめちゃええやつ。勉強になった!!」
と、思う瞬間が今まで何度もあった。
けど、良かった!!という感覚は憶えていても、その内容を忘れてしまっている事がたくさんある。
これ、すごくもったいない。
だから、少しでも記憶に残したくてnote書くし、書くことがアウトプットにも繋がるし。視覚的に残ってるから後からの振り返りにも使えるし。
「noteに書く」という行為が、自分にとっての知識の積み上げのサイクルと少しずつなりつつある。
そして、今回のテーマは
「痛み」について考える
先日のミヤガワRADIOでこんなトークライブが行われていた
「痛み」って、自分にとってはすごく身近な感覚。
転んだ時に膝を擦りむいて痛い。
仕事で失敗して上司にすごく叱られて心が痛い。なんて事を思い浮かべた。
身体的なものであったり、心理社会的なものであったり。
身近なことから話がスタートして、
どこに向かって広がっていくのか?
すごくワクワクしながら聞いていた。
これこそ、心理学がギャンブル状態(笑)
だから、ミヤガワRADIOを聴くのはやめられない。
動画の中で印象に残ってるたキーワード
・痛みは学習
・アレキシサイミア(失感情症)
・アレキシソミア(失体感症)
・ストレスの身体化・精神化・言語化・描画化
・現象を現象のまま理解する=アート
・急性疼痛では痛みの記憶が脳に記憶さ
れる事はマイナスなのでしっかりと鎮
痛する
・ゲートコントロール理論
・神経の可塑性(かそせい)
・痛みと愛着形成
‥内容がかなり濃厚でして全て処理できません。
サイエンスとアート?
「痛み」は良いとして、サイエンスとアートってなんだよ?と思うはず。
もちろんこれも、ミヤガワRADIOから刺激を頂いている。
(この動画の18分30秒以後で話題として挙がってます)
とか
で、扱われている。
先生方、本当に大きな貴重な学びの機会とさせて頂きました。
ありがとうございました。
勝手にここでお礼を言わせて頂きます。
サイエンスとアートの話題が先に挙がって、その後に「痛み」についてのトークライブが行われている。
ここでの言葉の扱われ方として
サイエンス = 科学的根拠、エビデンス
あてはまる・あてはまらないを
一つ一つ考えていく
アート = 感情、直感、感覚的なもの
ナラティブ
※ナラティブ‥その人が体験を通して語るストーリー
こんな感じで扱われていた。
自分はアートって最初に聴いた時、「絵」とか「創造性のある作品」ってのを思い浮かべてた。何か形のあるものを作るというイメージ。
サイエンスは単純に科学と変換してかな。
だから、動画を見て医学領域においてのサイエンスはイメージしやすかった。生物学ってこうだよね。
でも、アートについては全く想像できなかった。アート=ナラティブかぁ。その人が創る・紡いできた人生というもの。
アートとナラティブがイコールなんて、自分の中には全くない考え‥なんだそれ?そう考えてくのか!!そこを広げてくのか!!
あ、快の刺激。きたね♪
刺激の結果、何を思った?
痛み×サイエンスとアートの話。
痛みを身体化・精神化・言語化・描画化の話しがすごく印象的。
様々な形の痛みをどう扱っていくのか。その方法は何かしら必要。
誰しも避けては通れないもの。
自分の場合、痛いとかしんどいって事を表現する事が苦手なところがある。この類のものを感じると精神化→身体化してしまう事が多くあった。
これではその先自分の身体が持たないと思い、言語化する事を意識的に行うようになっていた。
言語化する方法の一つとして、日記を書くって事をするようになった。
別に何も特別な事じゃない。むしろ、誰しもがやっていそうな当たり前のこと。ただ、それまでの自分からは考えられない事。
日記を書き始めて3〜4年。
やってみるもんだ、自分が安定している事・以前よりこころのバランスを崩す事が減ったと感じる。
何でもかんでも。言語化してた。
けど、言葉にできない事がどうしてもあった。
なぜ?なんとかして言語化を‥。って思ってたけど無理。頭が回らない、どんなにやってもそこから先に進めない。
今回の動画みていて、腑に落ちた。
言語化しない事で自分を守っていたんだと気がついた。
言葉にしていくサイエンスとイメージをこのまま持ち続けるアート。この2つのバランスを上手く保てるかどうか。
これ自分の悪いところだけど、一つ良かったらぜんぶ同じ方法でやろうとしてしまう。
いろんなやり方を持てる事、大事ね。
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