無理しないでね

小学1年生の頃から、少年野球チームに所属していた。結果として小学校卒業までそのチームに属していた。
野球をやりたかったから、とか、親の野球の造詣が深かったから、とかではなく、同じ保育園にいた友達がやると言ったから、なんとなく着いて行ったことがきっかけだった。

幼い頃から、運動が苦手だった。
鬼ごっこで鬼になったら、誰にもタッチできなかった。見かねたトモアキくんが、こっそり私の手に触れ鬼の役をもらってくれた。トモアキくんは足が速かった。もう今はトモアキくんがどこで何をしているか知らないけど、この恩は一生忘れない。

かくして始めた野球も、全く上達しなかった。
他の子たちが捕れるフライを捕れない。バットにボールが当たらない。野球を観るのは好きだったけど、自分がやるのは全然好きになれなかった。

何より、監督が怖かった。私が小学生の時分は、今ほど厳しい指導への社会的風当たりが強くなかった。何度やってもボールを捕れない小学生の私を怒鳴りつけるのは日常茶飯事、蹴りを入れられたりバットを投げつけられたりも珍しくなかった。
毎週土日は必ず少年野球チームの練習があった。高学年になれば、平日の夕方にも練習があった。
とにかく嫌だったが、幼いなりに「チームを辞めて逃げるのはいけないこと」という価値観だけはあり、苦しいながらも無理をして練習や試合に行っていた。


小学3年生頃だったであろうある日、たまたま観ていたテレビ番組に登山家の野口健氏が出演していた。
その番組で野口氏は「厳しい登山に出る前に『無理しないでね』と言われることがあるが、無理しないで登山なんか出来るわけがない」という主旨の発言をしていた(幼い頃の記憶なので、思い違いがあったら申し訳ない)。
バラエティ番組だったので、それは面白エピソードトークとして語られていたが、妙に腑に落ちたのを覚えている。

野口氏に「無理しないでね」と声をかける人の意図は100%善意なのだろうが、本人にはそれが響いていない(気を遣われることに対しての感謝などはあるだろうが)。自分も、野球の練習前に母に「無理しないでね」と言われても、「行く時点で無理してるんだよ」と思っていた。
無理をしなきゃいけない人に、「無理しないでね」と言ってはいけないんだなと思った。

大人になっても、その感覚が残っている。
凡そ無理しなければ解決できない課題に直面している人に、「無理しないでね」とは絶対に言わないようにしている。でも「頑張ってね」も無責任だし、何よりこれ以上頑張れないくらい頑張っている人にそんなことは言えない。

なんと声をかけるべきか悩むことが多い。この答えは、いつか見つければいいか。無理して見つけることもない。

どうかこれを読んだ皆さんが、厳しい戦いの日々の中で無理しながらも、無理しすぎないで、心と体が健やかに過ごせることを願っている。


みんな、あんまり無理しないでね。

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