10年ものの憎しみ
おぞましいタイトルだ。
10年もののウイスキーとか、そんな響き…。美味しくはないけど、渋みは増してるかもしれない。一部のマニアにはうけるかもしれない。
10年前のこと
約10年前、私は離婚を経験した。
誰も離婚しようと思って結婚していないわけで、まさか私の人生にこんなことが起こるなんて…といったよくあるテンプレートのような気持ちだった。
その時は相手が100%悪くて、私は100%被害者だと思っていたが
しばらく経つと、私にも離婚に導いた原因があったことに気づく。
お互いが、全然、まったく歩み寄れず独りよがりになった結果だと思う。
そういう自分の黒歴史を棚にあげて、経験者として断言できることが1つある。
離婚するときは、悩まない。「あ、これはもう離婚だわ」という感じで、選択肢が存在しない。
離婚したほうがいいか、しないほうがいいかという選択肢があるうちはまだ、時期ではない。(DVモラハラ虐待等は除く)
この格言で、私は今でも多くの「離婚したほうがいいのか悩む」という友達の相談に一筋の光を与えている。
たいていの人は、目を見開いて「そうなんや…」と理由も聞かずすぐに納得する。
これが10年ものの重みである。
好きの反対は無関心。果たしてそうか?
元夫とは、娘がいることもあり
1年に平均1~2回面会交流を続けていた。これが少ないのか多いのかはわからない。一般的には少ないかな。
ただその間、少し気になることがあった。
元夫は、付き合っていた時も結婚していた時もそうだったが、離婚してからも急に電話を掛けてくる。
「今日、どうしてる?久しぶりにご飯でもどうかなと思って」
平日だろうが夜だろうが関係なく、そんな感じだ。
しかも、その頻度は年に1~2回。忘れたころに突然かけてくる。そのたびに、こいつは私と娘のツレか何かか?と疑問だったけど好きの反対は無関心だというし、本当にどうでもよかったから毎回あまり気に留めなかった。
こういうこともあった。
面会交流が2年くらい空いた時期があったのだけど
ある日、この時はめずらしくSMSのメッセージで「話があります。時間があったら会えませんか」という敬語のメッセージが入った。
ただならぬ雰囲気だったので、今更親権争いをしてくるつもりか…?はたまた、再婚のご報告か?(いらんけど)と、身構えて待ち合わせ場所に向かうと
「家と職場の往復の毎日の中で、色々考えた。もう一度、家族としてやり直してほしい」
…絶句だった。
この時離婚から、約4~5年は経過していたと思う。
やっと私も生活の基盤が整って、娘との生活も軌道に乗っていた頃だった。
そんな私と娘が築いてきた数年を、こいつはバカにしてるのか?言われたその時は驚きすぎて何も言えなかったけど(そういや返事してねぇや)、あとから怒りがフツフツと沸き上がった。
けど、そうだ。私はこの人に対して無関心でいいんだ。虫が耳元でブンブンうるさいな~くらいに留めておけばいいんだ。と、
しばらくすると無関心モードに戻り、この話は飲み会のネタと化した。
無関心のなかに隠された怒りや憎しみは、消えないまま。
私、怒っていいんだ
そしてまた数年後、なぜそんな流れになったのかが思い出せないが
元夫と娘と2人で、元夫の実家に行くことになった。
そのころには娘も小学校中学年くらいで携帯も持たせていたし、何かあっても連絡が取れるし…と思ったのと
娘もちょっと緊張はしていたものの、自分にも従兄弟がいるの?と興味を持っていたこともあり(私の兄弟は子供なし)、行かせることにした。
娘が元義実家に行っている最中、元夫から写真が送られてきた。
まずは娘と従兄弟が一緒にゲームをしてる写真。これはかわいい。
次に、娘と元義母と元義妹の3ショット。いらねぇ…見てすぐ消した。
数時間の滞在後、娘が帰宅。元義実家でのエピソードを話してくれていた時、「パパの妹が、『おサノちゃん(私)もこればいいのに』『次はおサノちゃんと一緒においで』と言ってたよ、と教えてくれた。
「そっか~」と当たり障りなく返事した…と思う。
でもその時、私のなかの何かが切れた。
私はたまらず、この時のエピソードをまず付き合っている彼に話した。なんかわからんけど、めちゃくちゃムカついたんやけど、どう思う?
「舐められてると思う。」
次に、友達に話した。
「意味がわからへん。ていうか彼、話聞いて怒ってくれはったんや。いい人やな~」
えへへ。そうやろ。
後日、友達からの電話
その話をしていた友達のひとりが、数か月たった後に「ちょっと夜、時間があったら話せないかな?」と前置きをして電話をくれた。
「私の友達な、親が離婚してシングルマザーで育った子が何人かいて。その中の何人かが、いま父親が病気になったり面倒みなあかん状況になってる。親が別れてからも面会交流もしてたし、まったく情がないわけじゃないから、その子も病院に着替えを届けたり色々世話してるけど、その子も自分の生活があるのに、本当に悩んでて大変そう。それを見てたら娘ちゃんのことが心配になって。今までの話を聞いてる限り、その人が娘ちゃんにとっていい影響を与える人とは思えへん。交流を続けることで、お互いに情が生まれてしまう。物心つききる前に、フェードアウトしたほうがいいんちゃうかな?そこまで、考えたほうがいい段階やと思うで。」
完全に、目が覚めた
その友達の言葉は、私がいままで思いもしていなかった娘の未来の可能性だった。
元夫は兄弟が多く、それも長子のため将来病気をしても兄弟が面倒を見てくれる可能性が高い。ただそれでも、何かあった時に娘にも連絡がくる。
その時に娘はどう感じるのか。
育ててもらってもいない、たま~に会うだけの人。たま~に会う時に、何か欲しいものを買ってくれる。だけど、血の繋がりがある本当のお父さん。私が面倒見なきゃ(という謎の使命感)
(養育費は変動(気分)制:払ったのは10年間のうち3年分くらいかな!)
そんな風に、思ってしまうのだろうか。
でも、血の繋がりや濃さが全てじゃない。あなたのことを大切に思ってくれてる大人は、他にも沢山居たよ。じぃじとばぁば、叔父さん2人にママの叔母さんやママのいとこ。あなたのひいじぃちゃんも、もうボケてるけどあなたのことは覚えてて気にかけてるよ。ママの友達や、あなたの同級生のお父さん、お母さんも。
ちゃんと、そのことを伝えたいと思った。と同時に
元夫に対する10年分の憎しみがようやく顔を出した。
私、あの人のこと嫌い。あの人があの時やったこと、私にかけた言葉、そしてこの10年間で私や娘に対してしてきた行動すべて、一生許さない。都合のいいときだけ、血の繋がりに甘えるなよ。
この感情が表に出るまで、10年かかった。
10年ものの憎しみ、その先
それまでの私は、できた元嫁でいたかったのか常識人でいたかったのか、はたまた聖人を目指していたのかわからないけど
無関心という殻に隠れていただけだった。本当はバカにされ続けて傷つけられていたはずなのに、感じないようにしてただけだった。
たぶんそれが一番、楽だったから。
とはいえ娘に対して父親を憎めという感情は一切ないし、
娘の前でこの憎しみを表に出すつもりはない。
それはこれから彼女が自らの目で見て選択していくことだから。
ただ、積み重ねられた事実については、正しく知る権利が彼女にはあると思う。
それも含めて、彼女なりの真実を見つけられるといいなと思う。
そこは、私は介入できない。
私はこれからも、この10年ものの憎しみを持って生きていく。それが私の背負った責任でもある気がする。
憎しみを自覚してからは、元夫からの電話は取っていない。娘関連でメッセージのやりとりはたまにするけれど、私に労力がかかると判断したことは一切引き受けない。
10年かかった。
やっと、少し強くなった気がしている。
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