見出し画像

ブルーシートが涙に見える

最近は、色々なものを買わないかという誘惑が多い。福祉機器などは特にうるさい。景気が悪いのでしょうがないと思うが、高価な電動車いすを勧められている。

乗ってみても私の足では動かしにくく、電動車いすと私の体重を入れると100㎏近くなる。広い病院や施設では使いやすいが、一般のアパートやマンションでは50㎏以上ある電動車いすは使いにくいと思う。メーカーが研究を重ね作っているのだが、様々な障がい者に試していないような気がする。

ものを買ってくださいという営業が多すぎて思わず、「うるさい」と言いたくなる。しかし、コロナの影響でみんなお金が回らなくて困っているのだろう。学生さん達は食べ物も買えなくて、食べ物をタダで配っているところに行っているそうだ。

オリンピックの予算は…?

日本には、何年も前の台風や地震で家の屋根が飛ばされ、いまだに屋根の代わりにブルーシートを張って生活している人もいる。なぜ屋根くらい国で付けてあげられないものなのか。私は不思議に思う。

財政が厳しいと言っても、オリンピックには莫大なお金をかける。全世界からオリンピックを見に来る人も少ないだろう。日本のお金は出る一方であり、お金を置いていく人がいない。困った問題だ。政治の責任だと思うが、その政治を選んでいるのは私たちだ。お金を使うところが平等ではなさすぎる。

「おばさん」と言われて嬉しかった

昨日、仕事が終わりマンションの玄関で4~5歳のかわいい女の子と出会った。私の姿を見て、「おばさんどうしたの?どうしてそういう格好をしているの?どうして?」としつこく聞かれた。

私はどう答えていいか戸惑いながら、「そうだね、おばさんはね、生まれてくるとき頭に酸素がいかなくて、こうなったんだよ。あなたは歩けるからいいね」と言ったが、その子は納得しない。「でも、どうしたの?」とまた聞く。

すごく好奇心のある子なんだなと私の家に連れて行って説明したかった。初めて会った子なので、最近引っ越してきた子なんだなと思った。お母さんが必死になり、「人はね、色々な人がいるのよね。手のない人や足のない人もいるんだよ。分ったかい」と言っても、まだその子は不満そうであった。

でも少し諦めたようで、自分の家の方に向かっていった。私は大声で「バイバイ、またね」と言うと、その女の子から「おばさん、バイバイ」と聞こえた。ほっと一安心した。

冬ごもりから抜け出し春へ

コロナが流行して1年が経とうとしている。冬の障がい者は、雪があり外は歩けない。地域で暮らしていても外の人たちと会う機会が少ない。

コロナの時代の中で、子供たちはどのように成長しているのか考えてしまう。「おばさんどうしたの?」と言った子供は私たちのような人と会う機会が全くないと思う。

学校にも障がい者はいない。人は頭のいい子、普通な子、悪い子に分けて教育したがる。障がいを持っていたり、少しでも変わった個性を持っている子供たちは支援学級に分けられてしまう。そんなに分けてどうするのだろうか。

分けしまうと、障がいのない人は障がいを持った人たちがどのように生活しているのか知ることができない。だから、障がい者を特別な人と思ってしまうのだ。ヘルパーが足りなくて困っているが、障がい者の生活を知らないとヘルパーになろうと思うきっかけがない。

あのかわいい女の子に時々会って話がしたいな。話をしているうちに友達になれるかもしれない。そうしたら、福祉の仕事を目指すかもしれない。そういう出会いが大切だと思う。

コロナが消えて一日も早く障がい者達は、お店や地下鉄の駅の入り口などでヘルパーの呼びかけのビラ撒きをしなければいけない。困っていると嘆いていてもことは始まらない。

ヘルパーに膨大な予算が出ている。しかしヘルパーは来ない。ケアを受ける側が積極的に動かなければ社会は変わらないのではないか。相談室に探してもらうというだけでは限界がある。障害があるからこそ、障がい者にしかできない仕事があるはずだ。それを自覚していかなければ、福祉予算は無駄になるのではないかと思う。

障がい者はケアを受けるだけにならずに、時にはケアをする人の悩みを聞いたりすることが私たちの仕事ではないだろうか。その志が福祉を動かすことになるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?