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日本で初めて海水浴をした大磯という町

飛行機に乗ってきてくれた親友

写真で一緒に映っている人は、岩崎まさみさん という。彼女との思い出はこのノートには一気には書ききれないほどある。今回は、お互いにコロナの予防接種を打ったので会いに来て下さることになった。私は、寂しくなると岩崎先生に電話をかけ「会いたいですね。先生の顔が見たいです。お話たくさんしたいです。」と何度も言っていた。岩崎先生は根負けしてわざわざ飛行機に乗り私に会いに神奈川県の大磯から来て下さった。大磯と言う町は、初めて聞くまでなかなか覚えられないので、ノートにしっかり書いておこうと思った。

鹿野さんはカリフォルニアに行きたかった

岩崎先生は、1970年代位に北星大学で働いていた。そして、いちご会にボランティアに来て下さった。英語がうまかったので、外国の障がい者が来て講演する時は通訳を行ってくださった。「こんな夜更けにバナナかよ」の主人公の鹿野さんのところに行き、ボランティアで英語を教えてくださっていた。鹿野さんはカリフォルニアに行きたいと夢を持っていた。先生を好きになって、真っ赤なバラの花を贈ったそうだ。先生は困って私に、「そういうことでボランティアに行ったんじゃないの。」と怒っていた。私は謝りながら、先生はまだ若いなあと思った。でも後で、「あの時は私も若かったのよね。ごめんなさいね。」と言ってくださった。

クジラの研究

彼女は北星の他に、いろいろな大学に行って教えていた。それから、クジラの研究のためにカナダに行った。そこで恋人に出会い結婚した。ダンさんというとてもハンサムな人である。クジラを食べてよいか食べてはいけないか、の世界的な論争があった。私には難しいことはわからないが、先生の話を聞いていると世界を回っているような気がする。今はユネスコで働いている。私もできることならユネスコで働きたい。絶対に無理だと思うが、夢見るのは自由だろう。

フランスパンをかじって勉強する

彼女が札幌にいる時は時々家に遊びに行った。「私はフランスパンをかじって英語を勉強しているんだよ。」とおっしゃっていた。私が行った時は何かおいしいものをごちそうしてくださった。彼女の英語でしゃべる声が私は大好きである。このような素敵な人がボランティアにきてくださり、友達になれたことはなによりの財産だと思う。今回、素敵なホテルのレストランで中華料理を食べた。先生の顔を近くで見て声が聞けてうれしくてあまり料理の味は覚えていない。それほどうれしかったのである。わざわざ私に会うためだけに、飛行機に乗ってきてくださったのである。

バリアフリーのホテルは大磯にあるかな?

大磯という町は、政治家の別荘地が多くあるそうだ。そして日本で初めて海水浴を行ったところであると教えてくださった。海水浴は楽しむことより、治療のために行っていたそうだ。一度行ってみたいな、と彼女に言うと少し困ったような声になった気がした。でも私はチャンスがあれば、バリアフリーのホテルをみつけ、大磯という町の雰囲気を味わってみたいと思っている。行きたいと思う気持ちがあれば、生きている元気が出てくると思う。

天国に行けたらもっと深い友達になりたい

彼女は私のことを「みちこ」と呼んでくださる。なんともいい響きに聞こえる。「みちこね、また来るよ。また会う日まで、頑張って生きようね。」とおっしゃっていた。今は、ユネスコの仕事をZOOMで行っているそうだ。声が枯れていた。「コロナになってから夫と二人きりで家にいて3食食べて暮らすことは大変だった。でも畑をやると、心がすっきりする。みちこにレタス持ってくるの忘れたよ。」とおっしゃってくれた。ピンクと青のマフラーをくださった。私が何年か前に先生のために買ったピアスをちゃんとつけていた。とってもうれしかった。また会う時にはもっと大きな素敵なピアスを買おうと思っている。うれしいことも、悲しいことも、迷っていることも、何でも話ができる。でもすぐ別れがやってくる。切なかったですね。でも生きていればまた会える。大磯という町に行きたい。岩崎先生、ありがとう。あなたの私は一生の友達です。私たちはクリスチャンです。天国に行けたならもっと深い友達になれると思う。

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