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100人で歌ったうた

思い返せばいつでも瑞々しく、こころがすずやかな音を立てて鳴り出すような、いつまでも、辛いときでも、自分を支えてくれる思い出。

そんな時間の、メモが出てきました。

2017年、京田辺シュタイナー学校「大人が体験できるシュタイナー学校」のクロージングで歌った歌。
その場にいた全員、100人ほどのアカペラで、歌いました。

メロディを聴いて、あまりに美しかったので、音を拾ってメモしたのです。

が、結果的に、メモは必要ありませんでした。

100人のハーモニーはそれはそれは美しくて、自分がその一部であることが嬉しくて誇らしいくらいでした。

わたしはそのハーモニーに自分を浸し、じゅうぶんに味わい、反芻しました。そうしたことで、ハーモニーはわたしの一部として、耳に、感覚に、こころにとどまり続けてくれることになったのです。

あの日、最初は全員がホール中央を向いて歌いはじめ、先導する先生について動き、最後には全員が輪の外を向いて立っていました。

2日あるいは3日という短い集中講座でありながら、その場ではがっちりとした連帯が生まれており、別れがたい雰囲気の中でのクロージング。
外向きの輪は、みんながそこからまた新たに、それぞれに歩き出すことの象徴だったのかもと思います。

うたがこころにとどまり続ける理由のひとつを、この、向かい合わせから外向きへの動きが担っているのは、間違いありません。

それから3年余りが経ちました。私が1年生として、心躍らせ通った2日間の記憶は、ところどころ曖昧になってしまいました。

それにもかかわらず、今も鮮明に耳に残ってくれている、100人のうた。

シュタイナー教育に出会ってから。
このような、こころが喜び、感覚に沁み渡るような体験が、たくさん、たくさん、やってきてくれました。

私はシュタイナー教育を確かな教育法と確信していますが、難しい、と言われることにも、とても強く共感します。
難しいから、でも、確かで、こころが喜ぶから、出会った人の多くが、人生とともに学び続けるのかもしれないですね。

わたしはどんなに微力でも、たとえたったひとりにでも、こころがリンリンと鳴り出すような体験へ、橋渡しができたらいいなあと思うとき、またあの100人のうたが聞こえるような気がします。

2020年 クリスマスの夜に

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