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1人きりじゃない、信頼できる人の力を借りるお産

 私のお産は2度、4歳の長女と0歳3ヶ月の次女です。長女の出産は麻酔による和痛分娩、次女の出産は自然分娩でした。なぜ自然分娩を選んだのか、自分でもはっきりしませんが、その時出会ったものや人、様々なタイミングが重なり、経験したいと思ったのです。私の2度のお産を振り返りました。

(東京都 安斎 祐子)

長女の妊娠/無痛分娩へのこだわり

 自分は死ぬまで働くだろうと、結婚や子どものことなんて考えもしなかった10代。幼稚園の「将来の夢」をテーマにしたお絵描きで、女の子がみんな「花嫁」を描いたことに絶望し、中学生の頃には、男子生徒に負けないために「たくさん勉強してバリバリ働くのが一番」と考えていました。

 学生時代に夫と出会い、入籍せず、子どもも持たず、死ぬまで一緒にいようと本気で思っていましたが、「産む選択を今しなかったら、育児はこの先難しい」と、28歳でふと感じたのです。ちょうどキャリアを考え始め、「子どもがほしいなぁ」との夫のつぶやきが「結婚したい」に変わり、29歳で入籍。1カ月半後に妊娠し、痛いのが嫌で「無痛分娩対応」で産み場所を検索しました。当時は完全無痛ではなく和痛が主流ですが、その違いも知らず、24時間対応でネットの評判が良さそうな小さなクリニックを選びました。

 助産師さんに面談で「お母さんだけじゃなく、産まれてくる赤ちゃんも痛いし頑張ってます!」と叱られ、大変さを予め回避しようとする姿勢は、産後の育児にも通じていました。赤ちゃんのねんねトレーニングの本を読み、赤ちゃんによく寝てもらおうと考えました。今なら、周りに頼り、助けを得るのも良いと思えますが、当時は里帰りもせず、「私1人で乗り切り、ダメなら夫」で、子育てを夫に頼ることに。当時の私は出産や育児を何かの作業だと考えていたようです。子育てを楽しむとか、お腹の赤ちゃんを思ってみるといった発想はありませんでした。

長女のお産当日/無感覚とフルコース

 私の初めてのお産は、2日前の前駆陣痛でスタート。1時間に1度の痛みが20分おきになり、そのまま深夜のタクシーで病院へ。ちょうど3連休の最終日で、夫もお産に立ち会えました。手洗いや着替えを済ませ、さっそく点滴で麻酔注射の痛みを和らげる薬を投与。麻酔用の針は全く痛くなく、しばらく分娩台の上で陣痛の痛みに耐え、お産の進行を待ちました。助産師さんやお医者さんは20分に1回、子宮口の開きや痛みの感じを確かめていました。

 子宮口の開きは順調。麻酔で痛みを軽くするも、子宮口が開くにつれて痛みは強さを増し、麻酔の量を加減しつつ、待ちます。陣痛が辛いときに楽な姿勢や、陣痛を逃がす過ごし方のアドバイスなどは無く、仰向けに寝転がり、苦渋の表情で陣痛に耐えました。
 夫は新調したカメラの撮影と水分補給に徹し、私がこんなに痛いのに、無表情でカメラを構え続ける夫に、夫婦の温度差も感じました。夜通し回し続けたカメラですが、産まれる瞬間、血を見て気分が悪くなった夫が倒れて別室に運ばれ、なんと産まれた瞬間を記録できませんでした。

 子宮口全開でも産まれそうな感覚がなく、促進剤を投与。痛いのにお産が進まず、「もうどうでもいいから、終わらせて!」と感じていました。
 助産師さんから「息を止めると酸素が赤ちゃんに届かないから上手にいきんで」と言われ、呼吸を意識しても、麻酔でお尻の感覚はなく、「いきむ」感じがよくわかりません。とりあえずお腹やお尻、脚になんとなく力を入れて(実際は、麻酔でどこに力がかかっているかわからず)「うんー!」と声を出すと、助産師さんは「力が入らないからなるべく声を出さないで」と。お腹を押され、長女は鉗子、そして吸引機で引っ張られ、遂に出てきました。産む感覚は痛みより「何かが通った違和感」で、初めてのお産は、促進剤、会陰切開、鉗子、吸引、腹部圧迫と医療行為のフルコースでした。

長女の産後/不安と孤独にさいなまれ

 赤ちゃんはもちろん可愛く、自分の命より大事な存在でしたが、母子同室で深夜まで泣き続ける長女になすすべもなく完敗。私の産後の回復は順調で、産後3日目に退院したものの、タイミング悪く、夫が仕事で急に忙しくなり、ほぼ母と子だけの生活へ突入。夜も私だけが世話する毎日でした。

 赤ちゃんが泣いてもそのまま眠るまで待つ「ねんねトレーニング」を実践しようと、夜9時に部屋を真っ暗にして、我が子をベビーベッドに寝かせても泣き止まず、そのまま1時間経過。私も涙が出てきて、抱っこで授乳したり、ゆらゆらしたり。結局、諦めて、布団で添い寝しました。深夜に泣いたら明け方まで落ち着かず、「どうしたら可愛いと思えるだろう」と満たされない日々をどうにかしたくて、不安と孤独でいっぱいの毎日

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 ある日、病院の助産師さんに教えてもらったのがUmiのいえです。さっそく出かけると「よく来たね」と温かく迎えられ、「かわいいね、愛おしい」と声をかけられ、やっと「うちの子、可愛いんだ」と気付きました。Umiのいえでいわゆる自然派育児を知り、抱っこの仕方、授乳服、食事のこと、いろいろ教わる一方で、麻酔分娩だったことが後ろめたくて言えず、次の出産も麻酔分娩だろうと思っていました。

 当時、何人かの友人に「麻酔分娩はどうだった?」「分娩麻酔にしようか迷っているので教えて」と聞かれました。私は自然分娩を経験していないので「どのくらい違うかわからないけど、痛みが軽くなる時間があり、お尻の痛みを感じなかった。痛いのが苦手な私は、仮に麻酔で3〜5割痛みが減っているなら、自然分娩は耐えられない」と伝えていました。

次女の妊娠/自然分娩への想いの変化

 長女は母以外の抱っこに何時間でも泣き続け、「ママがいい!」の一点張り。なかなか父に慣れず、私の復職後、保育園の朝の送りは夫、お迎えは私と決めたのに、結局、私が送り迎えすることに。両親そっくりの人見知りで、1人で遊ぶことはほぼ皆無。仕事と長女の育児で限界を感じ、2人目は自然に任せようと特に計画していなかったので、次女の妊娠は、嬉しさよりも「え、今?」と驚きでした。無痛分娩もかなり浸透し、どこでも大丈夫だろうと、職場近くのクリニックの提携先から、家に近く、母子への配慮が行き届いていそうな病院で予約時に無痛分娩を希望しました。

 しかし次第に「自然分娩も良いかも」と考えるように。きっかけは、ネイティブ・アメリカンのセレモニーです。日本で活動する方の本で、男性が自分の胸のピアスを引きちぎるセレモニーを知り、痛みが苦手な私は恐怖を感じました。しかし、セレモニーに女性は参加しないことから、女性はお産の痛みを経験するから必要ないのかと想像し、「お産の痛みはすごく貴重な経験なのかも」と考えるようになりました。

 それでも自然分娩で大丈夫との自信を持てず、自然分娩したいけど、もし何かあれば麻酔も使おうか…と煮え切らない私を後押ししてくれたのは、シュタイナーの身体表現の先生です。あるとき私が2人目を妊娠中だと伝えると「昔はこの季節にしか子どもは授からなかったから特別な子ね。まさにクリスマスのプレゼント」と祝福され、後日、子どもを授かった時のマントラ(祭詞)を書いた手紙もいただきました。お産のお話を楽しく聞くうちに「自然分娩で産んでみよう」と心が決まったように思います。

 それからは、私の決心を応援するかのように、お産に対する前向きで温かいイメージを貰えることが重なりました。自然なお産をテーマにしたドキュメンタリー映画を友人から紹介され、実際に観ることは叶いませんでしたが、お産は痛く辛いのではなく、温かくて幸せなものと教わりました。

 2人目を自然分娩すると伝えると、周囲から驚かれ、「死なないでね…」と心配されました。1人目の自然分娩が大変で2人目を無痛分娩するケースをよく聞きますし、私の周りにも無痛分娩経験者が増えていました。そんな周囲の心配や好奇心をよそに、私のお産のイメージは、妊娠後期にはすっかり温かく、幸せなものになり、バースプランに「赤ちゃんと自分の力を信じて、なるべく自然に産みたい」と書いていました。

次女のお産当日/達成感と感謝と

 陣痛が来る日の明け方、自分の身体なのに自分のものではない不思議な感覚に「何かの兆候かな」と感じました。夕方、長女の保育園のお迎えあたりから痛みを感じだし、もうこれはお産が近いと椅子に腰かけて待ちました。

 陣痛の感覚が20分になり、1人でタクシーで病院へ。1人目の経験から「サポートといっても水分補給程度」「夫には長女を見てもらい、私は1人で病院で産んで帰ってこよう」と考えていましたが、タイミングよく義母に長女を見てもらえることになり、後から夫もタクシーで駆けつけました。

 ゆったりした呼吸で落ち着き、痛みに冷静に向き合い、途中、今までお世話になった人や自然分娩を勧めてくれた人に感謝する場面も。初産ではもうこの時点で痛みに耐えらなかったけど2回目は違うなとも感じていたのが、陣痛も後半に入り、経験したことのない痛みへ。経産婦といっても、自然分娩は全くの初心者。前傾姿勢を取れる椅子を借り、分娩台に横になり、自分で試行錯誤しつつしのぎました。「上体を起こした方が、お産が進みますよ」と助産師さんに言われ、「なんだ、横じゃなくて良いのか!」と今まで必死で横たわっていたのが、かえって自分を辛くしていたと気づきました。

 子宮口が7〜8センチ開き、もう一息という時期から、なかなかお産が進まず、痛みもいよいよ本格的に。噂に聞いていたテニスボールのサポートは「押す場所が違うと妻に怒られた」「夫は全然役に立たなかった」との前評判と異なり、力の強さや押してもらう場所は伝えた通りに修正してもらい、私はずいぶん楽になりました。何より、この痛みを1人で乗り越えるのは心細く、2人目にして初めて、立ち会ってくれる夫の有り難さを知りました。

 痛みはどんどん強くなり、「もう、どこからでも、どんな方法でもいいから、赤ちゃんを出してお産を終わらせたい!」「もう嫌だ!なぜこんなに痛いの!」とずいぶん泣き言を漏らしました。でも不思議と涙は出ず、辛い状況を乗り越えようと、気持ちを吐き出していたのでしょう。痛いけれど冷静だったのです。陣痛をこらえる時間を終え、今度はいきむことに。でも痛くてちゃんといきめている自信がなく、「できません、いきめません…!」とまた泣き言を口に。すると「大丈夫、ちゃんと上手にできてるよ!」と助産師さんがかけてくれた言葉が、どんなに自分にとっての自信になったか。その時、何かを覚悟しました。「赤ちゃんの向きを直すから横になって」と言われ、痛くて1ミリも動きたくありませんでしたが、なんとか体勢を整え、赤ちゃんの向きを正常に戻し、いよいよ産む体勢に入りました。

 赤ちゃんが産道を通って出てくる感覚は、麻酔分娩と違い、はっきり感じるだけに「あぁ、これは痛いぞ」とも思い、産むことへの躊躇も。それでも「痛いけど覚悟しよう」と気持ちを決め、向き合いました。途中、誘発剤を提案された場面もありましたが、結局、誘発剤も、会陰切開も、鉗子や吸引もなく産めたことが一番の達成感でした。

 出産直後は取り上げてくれた助産師さんへの感謝で胸がいっぱいに。私とほぼ同年代なのに、頼もしく支えてくれた彼女の名前が母子手帳に記載されていてとても嬉しかったです。顔も、名前もはっきりと記憶しています(最初のお産は申し訳ないですがお医者さんのお顔しか覚えていません)。そして、今回は倒れずに最後まで立ち会ってくれた夫にも、とても感謝しました。こうして、私1人ではなく、信頼できる人の力を借りながらお産を経験したことが、有り難く、嬉しかったです。
 お産の時間は長女より1時間ほど長かったのですが、出産直後はもっと長かったように思い、「安産とは言えないな」と感じていました。経産婦で、妊娠中に心身もケアし、妊娠経過も順調で、短時間で産めるだろうとの期待が見事に裏切られた心境でした。しかし、助産師さんが母子手帳に記載したお産の時間は私の想像より5時間も短く、「お産の進行はとても順調。産後の回復も良く、特に子宮の戻りが早い」と振り返り、「あぁ、私、大丈夫だったんだ。ちゃんとお産を経験できたんだ」と、体験したお産と自分自身を誇らしく感じられるように。大変な思いをしても、その経験をどう捉えるかで、体験をいくらでも書き換えられることを知り、これがお産の痛みを私が体験したかった理由なのかもしれないと感じました。

2度のお産を振り返って/誰かと一緒に産む体験

 2人目は1人目より楽に産めると信じていました。その思いが自然分娩を選択する後押しになり、同時に、実際には「1人目より楽」ではないギャップを産み出すもとでもありました。経験してみれば、どちらもそれぞれ別物の体験で、比較すること自体が難しいと感じています。
 どういうお産かに関わらず、2人の娘はどちらも可愛いですが、お産を終えた後に達成感や「よく頑張った」という満たされた感覚を抱いたのは、間違いなく2度目の自然分娩です。お産に限らず、1人で頑張るより、誰かと一緒にやることを選択したい私にはなおさら、夫や助産師さんと一緒に頑張れて良い経験ができたとの充足感がありました。今では、1人目の麻酔分娩も含めて良い体験ができたと思っています。

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