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自分の体を自分で感じ、生まれてくる赤ちゃんを感じたお産

私が自宅出産を知ったきっかけは、姉の自宅出産に立ち会った時でした。その時は助産師になるために看護大学に通っている時期でした。経産婦なのに、4cmからなかなか進まない姉に、助産師の田中敬子さんが寄り添っている姿がとても印象的でした。
(広島県 室本 真季)

後悔の残る1人目のお産

その後、私は念願の助産師になり、病院に勤めることになりました。姉の自宅出産の立会い経験から自然なお産への憧れはあるものの、病院という環境の中ではそこでのルールや医師の方針に従った分娩介助、それに段々と慣れていく自分、自然に任せるお産を貫くことの難しさを感じていました。

助産師として迎えた1人目のお産では、自然に任せていればきっといいお産ができると思っていたけれど、焦りや不安やいろんな気持ちに振り回されて、無理に自分を開こうと、逆に力が入っていました。

また、病院のルールや事情がわかるからこそ、迷惑をかけないようにしようと、変に気を遣っていました。その結果、私も赤ちゃんも、疲れたお産になりました。出血も多く、産後に母乳育児がうまくいかない、身体が思うように動かないという経験をしました。

お産自体は楽しかったという思いが強いのですが、思い返すと少し後悔が残っています。

自宅出産に向けて家族で過ごした濃厚な時間

2人目を妊娠した時、姉の出産にサポートで来られていた助産師の田中敬子さんから、自宅出産の話やケアについてたくさん勉強させていただき、ケアを受けてみたいという思いから、お願いすることを決めました。自宅出産を選んだ背景には”上の子と離れたくない”、”自分にも自宅出産ができるのか体験したい”という思いもありました。

産休に入ってからは、実家の広島で過ごし、その時間は濃厚なものでした。1人目が予定日を1週間過ぎたこともあり、身体を整えるために週1回の鍼灸、マタニティスイミング、メディカル等級のアロマを使ったマッサージなど、上の子とお腹の子と自分自身に向き合う時間をもらいました。

予定日ごろには、夫も東京から駆けつけてくれました。
お産当日は、前駆陣痛の中3人で最後のお出かけに行ったり、「赤ちゃんも頑張るって言ってる」と上の子が教えてくれたり、陣痛がつらくなってきたタイミングで夫が起き、生まれる直前で上の子が起きてくるなど、色々な奇跡を感じました。

家族の全面的な協力と田中敬子さんの手厚いケアを受け、予定日は過ぎたものの、夫と上の子、実母、実姉、また亡くなった父の似顔絵にも見守られながら、2人目を無事に迎えることができました。

立ち会った上の子は、唸っている私を不思議と怖がる様子もなく、応援してくれました。そして産まれた後は、赤ちゃんのそばから離れようとしませんでした。自宅出産だったため、産後すぐから家族とずっと一緒に過ごし、気を使うことなく体を休めることができました。

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「赤ちゃんとお母さんの力を信じて、待つ」満足するお産

お産前後を通して大好きなアロマをふんだんに使ってもらえたこと。そして、尊敬する田中敬子さんにどんな弱音を吐いても、寄り添い、励ましてもらったこと。陣痛中に添えていただいた手の温もりや安心感が痛みを和らげてくれたこと。今思い出しても幸せな気持ちになります。

自分の陣痛に集中した時間、産まれてくる赤ちゃんを感じながら、自分の体を自分で感じ、産まれてくる赤ちゃんを感じたお産。産後は家族に囲まれ、1人目のときに感じた不安を取り除くように寄り添っていただいたことが母乳育児の最高のスタートにつながり、念願の完全母乳を貫くことができました。

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助産師になって、病院で働く中でずっと感じていたジレンマ、机上の空論だと思っていた“赤ちゃんとお母さんの力を信じて待つ”ことと”満足するお産を介助する”ということが、自分の自宅出産を通して机上の空論ではなく、現実に起こることだと実感しました。

私が体験したのは実家での出産であったため、上の子や夫にとっては自宅ほど安心できる場所ではなかった分、2人の子どもの育児につまづいた部分もありますが、自宅出産を通して得た自信はその時々で折れそうになる気持ちを持ち直してくれています。

この体験を通して得たことをもとに、今は助産院を自分で開業することができました。まだまだ修行中の身で、自宅出産の介助をするには難しいこともありますが、私が体験したお産の感動、寄り添うケアを多くのお母さんに感じていただきたいと思います。

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