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現場のチカラ

●はじめに●
第104号(2023年4月26日)、キャリアコンサルタントで活躍されている、水野理絵子さんからバトンを受け取りました村尾修(むらおおさむ)です。
僭越ながら「ぷろぴのひろば」デビューです。宜しくお願い致します。
先ずは、簡単に自己紹介させていただきます。1980年に大阪の工業高校の電気科卒業し東京に本社のある通信機器メーカ100%出資のHWメンテナンス(保守)を本業としている関連子会社に就職しました。大阪生まれ、大阪育ちでしたのであの当時は東京に出るのがとても抵抗がありました。今から思えば些細なことで、ただ単に東京をライバル視していただけだと思います。その後、石川、富山、福井の北陸3県、京都、滋賀、和歌山と転勤を繰り返し、富山で結婚、本籍も移し現在は大阪で10年目の単身赴任を謳歌しています。

●現場のチカラ●
タイトルにもあるように現場一筋で役職定年まで過ごし、役定後はグループ内の派遣会社に出向となり、60歳の定年退職を迎え、同じ会社で雇用延長社員として勤務しています。
今で言うIT機器のHWメンテナス(保守)を主業務としてカスタマエンジニア、営業、そして管理職まで経験してきましたが、現場での経験は第一線で会社を支えているという自負を持って仕事に取り組んでいました。
普段、通常では経験できないような訪問先もありワクワクする反面、故障修理の不安やクレーム対応の日々でした。一例ですが、地方の刑務所の中へプリンターの修理に行ったり、大きい病院の手術室へネットワーク機器の修理に行ったりと普段入れないところなどに出入りできたのも現場でのいい経験でした。また、電力会社の社長室へ訪問した際はカーペットの毛の長さに驚いたものです。お客様相手の仕事でしたので、よく名前が「修(おさむ)」なので修理の「修(しゅう)」で天職ですと冗談もいいながら関係構築を図ってきました。

キャリアという言葉で振り返ると、現場での経験で色々な業界の知識や訪問する会社の勉強したり、時にはその会社の理念やモットーなど壁に貼っているものを会話のネタにしたりとあの手この手とお客様との関係構築を第一に考えて行動していたと思います。
当然ながら、作業ミスや失敗もたくさんありましたが、「反省はしても後悔はしない」気持ちで毎日を過ごしていたのが現在のビジネス資本蓄積でもあり、社会関係資本の蓄積でもあったと思います。
現場対応であったからこそ、会議室や軒先でのお客様対応だけでは無く、奥まで入り込んで色々な経験ができたと感じています。

●最後に●
カナダの精神科医エリック・バーンさんの名言でもある、「過去と他人は変えられない、しかし、自分自身と未来は変えれる」という言葉があります。
過去の出来事は変えられませんが、その時どう捉えたか?どう感じたか?は書き換えることができると思います。
失敗やミスの経験も前向きに捉えることができれば、明るい未来が切り開かれると思います。
「反省はしても後悔しない」人生を送っていきたいと今では考えています。

さて次回105号は、朝活部会長の青木美恵子さんにバトンをお渡しします。

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