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『人生のカレンダー 「家」の再生の物語(仮)』②

「人生のカレンダー」が動くとき

「あの~、少し相談したいことがあるので話聴いてもらえますかぁ?」。

ある日、Facebookのメッセンジャーからこんなメッセージが届いた。
おっ、しばらくぶりにちかちゃんと話が出来るなぁと楽しみに思いつつも、大概こんな時は、なにかある…。

大体こういうときは、私の頭がとっちらかって会話の冒頭から私が自分のことをひとしきり一方的に話したりしてややこしいから省くとして、会話は以下の通り。

「実は、お父さんから電話があって、おばあちゃんがもう危篤でわたしに会いたがっているので、会ってやってくれないか?というの…」
「ほう、そのお父さんというのは?」
「35年ぶりなんです」。
「うん」。
「両親はわたしが七つの時に別居して、そのあと離婚したんだけど、私は母親のところに残ったから、それ以来ずっと会っていなかったんですね」。「うんうん」
「わたし、父方のおばあちゃんのことは大好きだし、会いたいんだけど、ということはお父さんと会うということでしょ?  わたしは35年間もほったらかしにされて、いっぱい文句を言ったりするんじゃないかと思うし、いろんなことを言ってしまって、どうにかなってしまうのではないかと不安なんです」。

「う~ん、すごいねぇ」

いつも思うのだが、この子の話は大変興味深い。今まで何回も話を聴いてきたが、毎回驚くべきエピソードが出てくる。
そして、疑問に思うところやもう少し詳細を聴きたいと思うことがあれば、的確に答えてもくれる。
彼女は素直だ。いや、底抜けに素直だ。
私の言葉でいうと、相談相手から適切な対応を受けられる「相談力」がずば抜けて高い。多分、生い立ちの中でなんらかの相談相手が居たに違いない。
私は今その人になっている。

後で詳しく書き起こそうと思っているのだが、彼女の生い立ちは大変苦しいものだった。
双極性障害という心の病は、ちょっとおかしいなと病院に行ったからといってすぐ診断がつく病ではない。長い年月を経て発症する病だといわれているし、診断には長期間の受診を経てやっと病名がつくような、とても厄介な病である。
にもかかわらず、なんでこんなにひねくれたりせずに素直に育ったのだろうかと、いつも感心する。
この秘密についても後で考えてみたい。

少し話がずれた。

「ねぇ、たしかにすごいですよね…」。
「だって、35年の歳月を経て親子の対面だよ!」
「そうですねぇ、なんか自分がそうなるとは思ってもみなかったです…」。

「あなたは知らないだろうけど、私が子供の頃の昔、桂小金治という落語家さんがいてね、この人が司会していたテレビの番組で、離れ離れになっていた家族が感動の再会なんでことをやってたのよ、それで泣くのよ司会の桂小金治が!」
「・・・」

戦後の、日本が混乱していた時、家族が離れ離れになるそういう時代があった。そういう出来事は、時代が変わっても理由が変わっても起こり得るのだという驚きと、なんとも形容しがたい哀愁を抱いた。

たしかに、双極性障害は人生のカレンダーが前に進まなくなる病であり、人生のカレンダーが止まってしまったがゆえに発症するともいえる。しかし彼女は、自らの力でなんとしてでも人生のカレンダーを動かそうと頑張ってきたのだし、この一助として私に相談をしてきている。

脳裏にあの顔が浮かぶ。

「会っちゃえ!」
「そうですよねぇ…」
「そりゃあなたもいろいろ言いたいこともあるだろうよ。でもねぇ、それはそれで必要があって言うわけだから、言えばいいのよ」。
「そうですねぇ」
「これは大切なことだから尻込みしちゃダメよ」。
「そうですね! 会うことにします。またお話聴いてくださいね、報告しますから」。
「待ってるよー」

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