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逸夢七屋が北海道で踊ったよ――2023/06/10-11

2023/6/10-11 北海道のYOSAKOIソーラン祭りに参加

日記なんて書きたいときに書くもんだよ。
放置していたわけではない。

逸夢七屋(いつむななや)という、よさこいチームの代表兼、机を叩く係をしています。

自分個人としても、逸夢七屋というチームとしても、初めて北海道のYOSAKOIソーラン祭りに行ってきた。

50年後に、昔を振り返る以外の楽しみがなくなったタイミングで自分が読むための記録を残しておきましょうか。それがいい。そうしよう。

自分のよさこい経歴をおさらいしておこう。そうしよう。
千葉の大学生チームの風神から始まった。学生チームはエモくていいね。
大学卒業後は、東京でVogue -re:vival-の結成からお世話になって、北海道系のチームを経験させてもらった。
あえて風神時代の先輩や同期が一切いないチームに行ってみたかった。とても良い経験だった。
が、1年もしないうちに、仕事の都合で九州は福岡県に引っ越したので続けられなくなった。残念。

転勤後、福岡に住むなら、せっかくなので、かの有名な太宰府まほろば衆(よさこいチームとして数えていいのかは謎) にお世話になることにした。
普通のよさこいチームでは体験できない貴重な経験をたくさんさせてもらったとおもう。
あと、単純に福岡で一人ぼっちにならずに済んだ。みんな優しい。
2年くらいいた福岡の生活で、楽しかった思い出は全部まほろば衆の記憶だ。

そして、仕事の都合で東京に戻ってきたので、学生時代の仲間とチームを立ち上げる約束、夢を果たすため、逸夢七屋を立ち上げた。

立ち上げて、1年活動して、1作品目の「夜暁」をこれからブラッシュアップしていこうというところで、コロナ大流行。お祭りは無くなり、身動きが取れなくなって、今日に至る。何たる不遇。

各地お祭りが恐る恐る再開してきた、ちょうど去年。
たしか、仕事の都合で広島へ引っ越すメンバーの送別会をやっていた時だったかな。ちょうど、その日が2022年のYOSAKOIソーラン祭りの真っ最中だった。
もともとが、千葉の大学生チーム出身なので、みんな千葉のよさこいチーム勢に思い入れが強く、動画で見ながら応援したりしていた。

その時口が滑って言ってしまった。
「来年のソーラン、出るかぁ。」
酒は一滴も入っていなかった。

偉そうな肩書の手前、チームとしてリスクを取る場合には、いろいろなケースを想定して、なにが起きても取り返しがつかなくならないように考えておかなくてはならない・・・なんて、そこまで自分にプレッシャーをかけているつもりは毛頭ないけれど、「YOSAKOIソーラン『参加』に舵を切ったこと」自体、まずもって、奇跡に近い。自分で決断してるくせに奇跡というのは変だけど。

何故って、ソレを決断した時点では、少し考えて思いつくだけでも、あまりにもリスクが多かった。

まず、20人に満たないメンバーのうち、いったい何人が参加してくれるのか?という問題があった。

今となっては、喉元を過ぎたが、長い準備を経て、令和元年にようやくチームが立ち上がった瞬間、コロナウィルス大流行という机の角に頭をぶつけてスっ転んでしまった。そこから失神したまま3年くらい身動き取れずにいるのは本当に苦痛だった。

コロナで3年間イベントもなく、活動は休止。どうにかメンバーが逸夢七屋から、よさこいから、離れてしまわないように、出来ることを色々と考えたものの。かなり「間」が空いてしまった。
組織として、チームとして、体裁も体制もボロボロになったこの状態からでは、まず「よさこいのために時間を使う」という生活サイクルを取り戻すだけでも相当大きな障壁になる。メンバーはそれぞれ、仕事の環境が変わったり、結婚したり、新しい事を始めたり、状況が変わっている。もちろんそれは、私自身もだ。

加えて、関東からソーランに出るには、飛行機も宿も安くはない。半年先のスケジュールを、移動日含めて4日間くらい抑えなければならない。そんな先の休みが取れるかも不明。4月に転勤が決まったら全部パァになる可能性もある。

人数も、蓄えられた資金も一切無いチームにとって、参加費に加えて、地方車のレンタル代は重い。人数で割ると、交通費と宿泊費とあわせれば一人10万円以上の負担になる。1回のイベントに参加するための負担だ。
衣装楽曲代とは別で発生する金額としてはあまりに重い。

チームとしての参加を決めて、メンバーに出欠をとる以上は、「思ったよりも参加者が少なかったので、やっぱり参加を辞めます」なんてことはできない。そんなことをしたら、祭りに参加したい意欲がある人は全員このチームを去るだろう。自分がメンバーだったらそうする。

だから、チーム内に向けてソーラン参加者を募る際には、たとえ踊り子が5人だけでも行く覚悟を決めていた。

覚悟のソーラン参加表明。

結果としては、現状休会していないメンバー全員が、「参加」と決断してくれた。これはかなり嬉しかった。さらに、新たな入会もあり、なんなら20人を超えた。

衣装は予備を見込んで20着作ったが、まさか全ての衣装に袖が通されるとは思っていなかった。(なんなら、1着足りなかったので、私の新曲の衣装は踊り子に譲った)

参加の表明をしてくれた全員が、逸夢七屋としてソーラン祭りに行ってよかったと思うようにしたいと思った。

お祭り当日はトラブル続きではあったが、みんなのおかげで何とかなった。
最初はみんな緊張していたが、演舞の中で成長していった。

二日目最後の西8ステージを踊り終わったあとの表情も、帰りの飛行機の様子からも、メンバーの全員が心から楽しめていたのが伝わってきて、ホッとした。
逸夢七屋がソーランに出るならば、と駆けつけてくれた人たちのおかげで、何とかやり切ることができた。

自分自身もバッチリ楽しめていたという実感が湧いたのは、家に帰って、一晩休んで、お土産の塩辛を食っているときだ。
うん。楽しかったし、無理して行ってよかった。

あと、曲がりなりにも、よさこいソーランをやっている自分が、北海道のYOSAKOIソーラン祭りに一度も行ったことがないというのは、ほんのちょっとだけ負い目もあったので、それが解消されたのもよかった。
今までは、
「趣味でよさこいソーランをやっているんですよ~。ハハッ」
「あー!北海道のやつだっけ?」
「アッそうなんスけど、自分は北海道のお祭りには出たこと無くて。 ハハッ サーセン。主に都内のお祭りとかに参加してます ウィスw。」

という歯切れの悪いやり取りをしなくて済むようになったのは嬉しい。

YOSAKOIソーラン祭りの全部を楽しむなら、毎年ソーランに参加している、組織としてノウハウ・システム・リソース・資金力が成熟したチームで没頭したほうが楽しめると思う。そういう全身全霊で演者に徹している人たちを尊敬しているし、うらやましく思う気持ちもないと言えばウソになる。
でも自分はチームを作ることを選んだ。そして自分が作ったチームに入ることを選んだ同志が集まって、やっとの思いでギリギリ北海道に行くことができた。それは地味だが、結構すごいことだ。

目指すべきお祭りが見えない状態の練習にも欠かさず参加した者。
激務の合間を縫って練習した者。
手術明けにもかかわらず、リハビリしながら練習に参加した者。
ソーランのために脚の手術を先延ばしした者。
旗師も踊り子も兼任して、やりきった者。
なかば無茶ぶりで筆隊に選ばれ、期待に応えた者。
広島に引っ越したのに、なぜか練習の度に東京にいる者。

情熱というより、狂気。
皆、一様に狂気を持っている。

大学を卒業して、社会人になって、平日は普通にフルタイムで働き、残業もあり、土曜出勤も当たり前にあるような連中が、少ない余暇でよさこいソーランやっているだけでも十分な狂気。そこにさらなる狂気が集っている。

うちのチームは、明るく、エネルギッシュで、陽気で、よさこいソーランが好きで好きでたまらない!!!という人間の集まりではないように感じる。ハッキリ言って、根暗が多い。
なぜなら代表が根暗だからだ。
根暗のもとに根暗が集まった、狂気のチームだ。
そんなチームにしか出せない魅力が、刺さる人もいると信じている。

いつの日か、逸夢七屋を見ている人全員が、
「逸夢七屋の魅力は、他のみんなにはわからないかもしれないけど、自分は個人的に好きだ」と思ってくれたら、幸いだ。

参加したことはおろか、見に行ったこともないYOSAKOIソーラン祭りに、自分達で立ち上げたチームで挑む人は、まあ少数派だろう。
そういう意味では私はもう少し、自分自身を誇ってもいいのかもしれない。

もちろん、過去のソーランを経験済みのメンバーや、色々と無理をして参加してくれたメンバー、限られた練習で演舞を完成させてくれたメンバー、我々のために手を貸してくれた人達、我々を見るために北海道まで来てくれた人達のおかげですべてが成立している。ここに感謝の記念碑を立てよう。

キネンヒ!(記念碑が立った音)




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