ニートは辛いよ〜何も生み出さないことが苦しいことに気づいた話〜
3月に入ってからずっと、NZでワーホリと銘打ったニート生活をしている。
しばらく、Youtube動画を作成したり、読書や日常で感じたことをnoteにまとめたりという充実した日々を送っていた。
ただ、この2週間ほど、オークランドから南下しながらのバン生活で、自分が社会に対して何も生み出さないことで苦しさを感じる体になっていることに気づいた。社会への貢献という価値基準が自分の中で思いの外大きな基準だったのだということを認識した。
「ただ日々を過ごす」。
この行為を苦しくさせていた潜在意識に気づいた話について書いていく。
どんなバン生活だったのか
バンでの生活がどんなものだったかを書いておくとこんな感じだ。
(何かを生み出す行為をしなかったいいわけとともに)
・昼間は運転か観光
・夜は、星空を眺めて早めに就寝
・朝は、朝日より早く目覚め、朝日を楽しむ。
・ケータイ用のSIMでインターネットを確保できているし、テザリングによって、PCからもインターネットを使える環境を整えていたが、キャンプスペースでは、SIMの通信環境が悪いことも多く、PCでの作業ができない日が続いた。
・バンにはセカンドバッテリーを積んでいるが、あっという間にバッテリーがなくなり、携帯に加えてPC・ドローン・GoProといった電子機器を持ち歩いている僕にとっては、バッテリー消費に怯える日が続いた。(PCをあまり使えない状態)
・夜になるとくたくたで、撮った動画を編集したり、noteを書き溜めるという作業をする気にもならなかった。
肝心のバン生活はどうだったのか?
結論から言うと、すごく楽しかった。
NZは息を飲むような自然がとんでもないくらいある。
キャンプサイトで見る夜空は、小さい頃阿蘇で見ていた景色を凌駕する美しさだ。毎日流れ星を見ない日はなく、寒い中30分ほど空を見上げているだけで、2、3個の流れ星を見つけることができる。
どこを車で走っても、目の前を遮るものは山か森くらいで、ただただ、だだっ広い景色と、日の高さによって、表情を変える自然で運転すらも楽しい。
胸につっかえる何か
しかし、同時に自分の中にある、もやもやしたものに気づいた。
こんなぜいたくな時間を過ごしているのに、なんとなく心が浮かない。
楽しみ切れていないし、どちらかと言うと落ち着かない。
何かが、胸のあたりでつっかえている。
2月に会社を辞めて以降、対価をもらってする仕事は一度もしていない。
そんな生活を続けてもう3ヶ月になる。
3月中、NZに来る前は、そんなことは全く感じなかった。
できる限り、日本にいる友人達と過ごそうという目的があったし、3週間という短い時間の区切りがあったからだろう。
すりこまれていた「社会へ価値貢献すべき」という認識
運転中や、ただ空を眺めている時間、妻や彼女、毎朝の朝の会での対話の時間を通して考えた結果、自分が社会に対して何も生み出していない状態、特に社会の役に立つ何かを生み出していない状態がすごく嫌なんだということに気づいた。
NZに来てしばらくは、Youtubeやnoteで発信をしてきたこともあり、社会に対して何かを生み出しているという気持ちがあり、そんな状態になったことは一度もなかった。チャンネル登録者が増え、いいねやコメントをもらえていたので、自分のしている行動が誰かの役に立っている(社会に価値を生み出している)ということを実感できた。
しかし、バンライフが始まってからは、DroneやGoProでの動画撮影自体はしていたが、編集などをすることなく、アウトプットのない毎日を送っていた。好きなだけマンガを読んで、好きな景色を動画におさめて、目の前の自然に感動して、共有できる人達がいて。とても楽しく幸せだ。
ただ、満たされない何かがある。
何かを生み出していなければ価値がないという意識が自分の中に刷り込まれているんだなというコトに気づいた。自分の潜在意識で「社会への価値貢献」はすべきことだと思い込んでいたのだ。
自分の価値がゆらぐ時、生への執着もゆらぐ
この潜在意識のおかげで、この2週間はとてもしんどかったりもした。
1日1日と何も生み出さない日が続くにつれて、自分が価値のない人間のように感じてくるのだ。自己肯定感が下がっていた。
ある日、ピーハーというサーフスポットで有名なビーチでサーフィンをした。半年以上ぶりくらいだったが、最高の波を目の前にワクワクした。
2、3メートル級の波に飲み込まれ、波の中で3回転くらいしながら、息も続かず溺れそうということが3回ほど続いた。その中で、毎回このまま死んでしまうか?ということが頭をよぎった。
なるほど、人は自己肯定感が下がると、生への執着が低くなるんだといことを実感した経験だった。元々、自己肯定が強めな方だけど、人はこうして自己肯定感が低くなっていくんだなということを身をもって体験した。
自分の価値基準を知る
「みんな価値を生み出すべきだ」とか、「社会貢献が重要だ」ということを言いたいのではなく、自分にとっては、重要な価値基準の1つということが分かったという話だ。
そもそも価値とはなんなのか?それを生み出さない人は価値がないのか?という議論はあると思うが、それは置いとくとして、どこかで自分は「社会への貢献は価値があることで、重要なことだ」と考えていたことが分かった。
当たり前だろ、と思う人もいるかもしれないが、世界にはそうではない人達もいる。自分がそれに根ざした、言葉・行動をしているのだなということを認知できたことが、個人的には大きな価値だ。
良い悪いは置いといて、「誰かの役に立つこと」をしている状態が好きだし、その状態で時間を満たしていることが好きなのだということにも気づいた。
モノへの執着はあまりないが、生物への執着が強いタイプの人間なのだ。
それは、人かもしれないし、植物かもしれないけれど、命を宿す何かにいい意味で働きかけていたい。その手段としての、エンジニアリングが好きで、コーチングが好きで、Youtubeやnoteでの発信が好きなのだと思う。
いつだったか、「誰かが、主体的に選べる選択肢を増やす、そのきっかけを作る」ことが根本的にやりたいことだなと考えた日があった。それがよりはっきりしたのだなーと思う。
役に立ちたい、仕事をしたい
ということで、仕事を探しています。
NZでも就活を始めることにしました。
日本での仕事はフルリモートが条件になりますが、できることは、以下のような感じです。とにかく人手が足りなくて、リモートでいいから手伝ってといった要望にも柔軟に応えられます。
情シス、インフラエンジニア 、SRE、IT関連のお悩み相談(このツールどう使うの?どんなツールがいいかな?ワードプレスとかブログの設定が分からない!とかとか)、業務プロセス改善・自動化、コーチング、海外ベンダーとの交渉・調整、
何か人手が必要な人は、LinkedInでもTwitterでもいいので、DMお待ちしてます。
LinkedIn: https://www.linkedin.com/in/osami-fukuda-coach/
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