「リーダー気質」は最低最悪の強欲の産物

人々の上に立ち、皆を纏め上げようとする輩が一定数いる。「リーダー気質」がある輩たちだ。

この輩は人類が生まれてからというものの、まるで自分が王者の資格がある特別な存在であるかのように振る舞っている。

野生動物にとっては、群れのリーダー的存在は種の存続のために必要不可欠である。しかし、人間とってリーダーは不必要であり、むしろ排除すべき存在である。

というのも、人間は野生動物とは異なり本能が極めて少なく、個々の性質により心地よいと感じる行動が様々であるからだ。それがいわゆる性格というものであるが、人の数だけ存在している。

それ故、一個人が自らの意見を掲げイデオロギーを作り出すなど、極めて烏滸がましくはた迷惑な話なのだ。

一個人の意見は一個人の意見でしかなく、万人に受け入れられるものなど当然の如く存在せず、正解もない。

しかしながら、奴らは武力を行使し、はたまた多数決やら権力やら、様々な奇妙なルールを作り上げ、一個人の意見を振りかざし、この醜悪なストレス社会を築き上げた。

この原因は、リーダー気質のある人間という失敗作が存在していることにある。何一つ正しくない、ちっぽけで浅はかなただの一個人の意見でしかないものを、大義のように掲げる害悪な短所の持ち主である。

そもそも人間にとってリーダーを必要とする瞬間など存在しない。あたかも必要であるかのように出しゃばり現れ常駐しているのがリーダー気質の輩たちだ。

リーダーを決める必要はない。リーダーを必要とする組織がそもそも人間には必要ないからだ。

この世界が正しく素晴らしいものだと感じる人間ももちろん存在しているであろう。しかし、その一部を除いた人類にとっては、人類の失敗作たちが勝手に作り上げた醜い世界である。

人類には、それぞれの自分の世界を生きる権利がある。そのためには、リーダー気質をあたかも長所であるかのように扱う風潮を叩き壊し、失敗作であるという自覚を植え付け、その短所を隠して生きてもらうことが必要である。リーダー気質の輩たちは自分中心の世界を生きられず不自由することになるであろうが、公益性を考えたら仕方がない。奴らに身を潜めてもらうことで、今よりもっと心地よい世界が実現することだろう。

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