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新喜劇作家は、新喜劇を劇場のどこで観るのか

もう年の瀬ですよ。
まだいくつか打ち合わせが残ってますから、完全に仕事納めとはいきませんが……というより、劇場の台本書き(ホンかき)という商売は、「この日で仕事納めだ」なんて区切りはつけにくくて、だって前倒しでできる作業なんていくらでもあるんだから、まあ、「今日で仕事納めだ」と自分に言い聞かせて、仕事を納めた気分になるしかない。

ま、今年は、ほぼほぼ納めたという気分で、今、少し飲んでますが。

ほろ酔い気分でね、推敲もせずにね、昔のことを少し書きます。

新喜劇の作家というのは、劇場でやってる新喜劇を、劇場のどこで観るのか、という話。
私の場合、たいていは客席の一番後ろですね。そこは立ち見スペースですから、立ち見のお客さんに混じってね。立ち見のお客さんがいなきゃ、壁の前にポツンと立って、舞台を観るわけです。観ながら気になったところをメモしたり、改善点を思いついたら、それも書き留める。隅っこの席が空いてれば座らせてもらうこともありますが、NGK(なんばグランド花月)なんて、連日満員ですから、席が空いてることもあまりない。

十年以上前ですかね。八月のNGKの公演でした。
夏休みということもあって、劇場は超満員。立ち見スペースもギュウギュウで、作家ひとり立たせてもらう隙間もありません。
しょうがないから舞台袖で観ようかな、とも思ったんですが、その日のその回は、初日の一回目。つまり、昨晩稽古した芝居を最初にかける舞台だったんですね。

初日の一回目は、やはり舞台袖じゃなく、客席で観たいんです。
どれくらいウケるのか、スベるのか、演者の動きがスムーズなのか否か、そういうのは客席から確認したい。

立ち見は無理。舞台袖もヤだ。だから、私、いつもの客席の一番後ろじゃなくて、客席の左右に一ヶ所ずつある出入り口の、右側の扉(舞台を正面に見た時の右です)の前で観ることにしたんです。
急いで謝りますが、これ、本当はやっちゃいけないことです。すいません。左右の出入り口の前辺りって、少しスペースがあるんですが、それは立ち見のためのものじゃなく、トイレや用事に立つ人と、客席に戻る人がストレスなく行き違えるように、少しだけ広くなってるんです(多分)。
でもまあ、そこで、観ることにしたんです、その時の私は。(今はもうしませんけどね)

で、一階席の左右の出入り口というのは、二十列くらいある客席の、前から十五列目くらいのところにある。だから、私が選んだその場所で、私が顔を横に向ければ、あるいは後ろを振り返れば、十五列目以降のお客さんの顔が見えるわけなんです。

さて、新喜劇の本番が始まりまして、私は舞台を観ます。
ありがたいことによくウケている。
めだか師匠が登場です。もう師匠が出るだけで拍手と爆笑。
その日は立ち見スペースまでギュウギュウですから、劇場には千人近いお客さんが詰めかけている勘定になりますが、その千人が笑う、手を叩く。そりゃもう凄まじい音の塊なわけです。爆笑、というか、もう爆発。

ふと横を見ました。壮観でした。
私の位置から、千人は見えない。でも、数百人は見える。数百人の老若男女の笑顔、笑顔、笑顔、笑顔……。
普段は立ち見スペースにいますから、見えるのは笑ってるお客さんの後頭部や、揺れる肩ぐらいのもんです。それが、その日は、数百人分の笑顔を目の当たりにしたわけです。
作家は、つまり演者じゃありませんから、普段お客さんの顔を前から見ることはないわけです。
それが、その時は、ちょっとズルして出入り口の前にいさせてもらったから、見ることができたんです。数百人分の笑顔と、千人分の笑い声。

すげえもん観てるなあ俺、と思ったものですよ。なんじゃこの光景はと。お笑いって、世界を平和にするんじゃないの? 想像してごらん? と、半ば本気で思えたものですよ。お笑いの作家になれてよかったなあ、なんて。
と同時に、演者さんはこれを正面から見てるのか。千人分の笑顔を。それはもう天国と形容してもいいもんじゃないのか。ま、その天国は、スベったときの地獄と背中合わせなんだろうけど、この際それは措くとして。ともかく、あの笑顔の海は今でも目に焼き付いています。

ま、ほろ酔いなんでね。特段のオチもなく締めますが、NGKというのは、やはり私にとって特別な劇場です。職場だし居心地もいいんだけど、原点であるがゆえに、どこか神聖っちゅうかね。

※繰り返しますが、立ち見のかたは、立ち見スペースだけでお願いします。


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