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『そうそう書ける訳がない』

いや、つまんねーよ。書こうと思えば書けるんだろうけど。思い付くネタなんて知れているし。釣りには「夏枯れ」って言葉があるけれど、あれとおんなじなのかもな。

俺が思い付いたのは。

探偵が可愛い女子にちょっかいを出して痛い目に合う話だったり。
探偵が儲け話に乗せられたけれど、実はそれは嘘だと見抜く話だったり。
探偵の肩書きが有るくせに、土木警備の仕事をしていたり。
なかなか探偵の依頼が来ない話だったりした。

あー面白くねえ。
試しにマンガを読んでみた。
ジョジョの奇妙な冒険 パート幾つだったか、忘れた。

『STEEL BALL RUN』
くそ、ダントツに面白え!

読みかけてほったらかしの、伊坂幸太郎の本を読んでみた。
四、五年前は、どはまりしていたけれど、字ズラが上部で滑って、なかなか物語に入っていけない。何処かで文章の構成などをチェックしている自分がいる。そうなってしまうともうおしまいだ。俺はもう小説の読者にはなれない。

ぜってー、自分で自分の文章がおもしれえし!
いや、自分で自分がそうなんだから、もうどうしようもない。 
どういう風に面白いかというと、メッチャどうでも良い話が多すぎる。滑稽なくらいに。
書評を書く奴は嘘つきが多すぎるとか、メディアは平気で嘘を捏造するとか。
あったりまえの話なんだけどな。

どういうものが面白いかというと、例えば校長先生が、校長先生の話を頑張ってしている姿が、あまりの頑張りゆえに滑稽に思える時があるだろ?あれを連想して貰えれば分かりやすいかも。

けど、本の帯に「感涙必然!涙を拭くのにハンカチを用意してください」って書いてるとイラつかないか?嘘に決まってんだろ?本や映画を見たとして、いちいち泣いてらんねえだろ?実際、泣いてる人口少ないし。
一つ言っておく。俺は本を出したら、ぜってーにそんな詐欺みたいな言葉を帯文にはしない。

この俺の考え方や感性は、他人のそれとは、一向に合間みえることはないから不思議だ。

俺は俺の本に関して、ジョークが滑っているとか、何を言いたいのかわからないとか、挙げ句の果てには読みずらいとか、こんなヒドイ本は初めて読んだとか、良く言われる。俺は俺の著作にマジでそんな事を書かれている。
じゃ、買うなと言いたいところだけれど、値段がついたら売れてしまうのが「本」の凄いところだ。

どうだ、悔しいだろ?
300年前に書かれた由緒正しき名著より、俺の本の方が遥かに売れているんだよ。値札が適正価格だから。
それがこの世の現実だ。
 
ふとここで、俺は心に響く圧倒的な名著の条件を考えてみた。

圧倒的な雰囲気作り。
圧倒的な雰囲気作り。
圧倒的な雰囲気作り。

どれだけ考え抜いてもそれしか俺には思い付かなかった。

緻密さ、描写、テンポ、ストーリー、設定、言い回し、値段、タイトル etc。
全部省略可能、無意味。

馬子にも衣装って奴だ。雰囲気という名のおべべを着たら、何でも売れる本になり得ると気付いた。っていうか、小説はフィクションなんだから、実は、背表紙だの、ネームバリューだの、重厚な雰囲気だの、そこしかなかった。雰囲気だ!っていうか、フィクションなんだから当たり前か。

俺にははしょって書く悪い癖が有るから、巷でいう良い小説は書けないと思う。勉強も怠るし。

はしょって書くから詩で良いと思う。現代詩っぽいのは受け付けない。あれは、本当に、悪いけど解らない。現代詩じゃない詩がいい。最近だと掌編小説とか呼ぶみたいだけど、ポエムの方が、響きが良くない?

うん、よいか。難しい事は。

俺はうまそうなら楽しく、食べるだけ。そして旨そうな料理のように書き物も調理するべきだなと考える。

先入観は棄てることにした。食い物でいう好き嫌いの事だ。だから旨そうなのが岩波文庫だったら、それはなおのこと、良いと思う。
いかにも文学的で、旨そうじゃないか!

そうそうに書ける訳ではないから、また一つ、暇潰しの駄作を書いてしまった。







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