見出し画像

写真SNS投稿つぶやき集

投稿する時にレンズ名を外して正解です。
ライカマウントのレンズを付けると、ライカのカメラが欲しくなる。というような変な病気があるんですね。また、大口径系、広角系もより明るく、より広くとかいう厄介な病気もございます。だって私の底は多分に見栄っ張りなんです。いやホントに。

ただレンズ名を外すとあら不思議、高級品への物欲はさっぱり消えました。
つまり私にとってはちっとも本質的なことじゃなかったんです。

つまり、レンズ銘・カメラ銘には、頭を馬鹿にさせる池沼要素があるということがわかりました!

画像1

零細ストリートスナッパーの自家発電的発作的連投垢にも、単細胞ではありますが、それなりに真心を込めシコシコ頑張り、アップ数もまとまとまって来ると、意外や意外!閲覧者の方が着実に増えております。まずは感謝感謝でございます。

あと、興味深いのは、時代の欲望の空気がかすかなりともアクセス数の多寡を通じて透けて見えるような気もするんですね。そういう意味合いで、今後もSNS的な使い方は”いたしません。”

もっとアップ数を稼げれば、確信犯的に迎合的な写真も撮ってみたいとも思う次第です。はいはい。

画像2

被写体に気づかれることなく、その自然な表情を撮影した写真のこと。「キャンディッド」とは「率直で遠慮がない」という意味。
人が写っったらなんでもかんでもキャンディッドではないと思っていましたので、ちょっと納得です。

※5-60年前のF/1.2レンズとかになると、本人もピントが合ってるかどうかわからないんですよね。
※ちょっとトリミングした方がよい収まりがよいとか...道ならぬスケベ心ですねぇ

画像3

レンジファインダーってガラス通しの見たまんまでしょ。しかも最短撮影距離が1mとあんまりボケない50mm。(35mmは異常に高価で、パースが効くからやりたい放題でしょう。面白くないです。)
その原則上、作為(撮影者の背負っている業(笑)?)を加えない限り必然的に退屈な写りになると思うんですね。だから触感的、耽美的な被写体にいっちゃいがちなのかな?

そこに妙味(一眼レフ用レンズとは設計が違うような気もしますし)を感じます。実際ライカとかブランド名はどうでもいいんです。

退屈って美徳です。

画像4

人にもそれぞれ表情があるように、街の表情も無数にあります。
街の息遣いのようなもの、それがシャッターを押させるのです。

だから、油断すると、私個人など小さな小さな存在は、あっと言う間に飲み込まれてしまいそうになるのです。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?