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【note創作大賞2024恋愛小説部門】君は僕のアンドロメダ⑥

りっちゃんは僕と似ていた。

僕たちは誰にも愛されずに育った。

りっちゃんが見せてくれた背中には大きな火傷の跡があった。

少女の白い肌を赤黒く彩どったその傷は歪んだ愛の形に見えた。

背中の傷を指でゆっくりとなぞる。

愛し方も愛され方も知らない僕。

それでも彼女の求めていることはすぐに分かった。

自分が辛い時、母親にどうして欲しかったか。


抱きしめた。

りっちゃんの小さな体がつぶれるくらいに強く。

過去の自分を抱きしめているような気がして心地よくはなかった。

少女の体は小さく震えていた。

この子には偽物だとしても愛を注いであげなければいけない。

そう強く思った。

僕の腕の中で大きく声をあげて泣いた。

「…りっちゃんには僕がいるよ」

「なるちゃん、ありがとう」

お互いの心の傷に絆創膏をペタッと貼る。

絆創膏なんかで治るわけもない深い傷を目に見えないように隠した。

それだけでも僕たちは満足できた。


「なるちゃんがいると幸せ」

目を赤く腫らしてにっこり笑った少女の言葉に僕はうまく答えることができなかった。

僕は今、幸せなのだろうか。

偽りの愛を吐き捨てて偽りの幸せを手に入れた。

本当の家族のあたたかみを知りたい。

叶う訳もない醜い願望が脳裏を過ぎていった。

「僕もりっちゃんがいて幸せだよ」

また嘘を重ねた。

偽物だとしても僕たちはお互いに縋るしかできなかった。

二人の心の傷は永遠に癒えないとしても。


りっちゃんの腕の傷が袖に隠れるようになった冬のはじめ。

僕たちの日々は突然終わりを迎えた。


その日の朝はいつも通りに始まった。

カーテンから入ってきた日光に起こされ顔を洗ってここへ来た時より長くなった髪を触る。

長いのは嫌いじゃなかった。

事故から体の調子も良くなって不自由はなくなった。

心と体が自由になっていくたびに説明のできない不安が心を蝕んだ。

朝ごはんに出されたパンをじっくり咀嚼する。

そんな時だった。

誰かが叫んでいる声が聞こえた。

叫ぶより怒鳴るの方が正しかった。

窓の外を見る。

呼吸が止まる。

間違いなく僕の母親だった。

頭が全く働かなくなる。

なんで?

どうやって?

苦しくなってその場に倒れこむ。

視界がぼやけていく。

りっちゃんや悠さんの声がうっすらと聞こえた。

雑音だった。

このまま死ねたらいいのに。

そう思って目を閉じた。


「宙、あんたもっとお兄ちゃんみたいにできないの?」

「二人目なんて生まなきゃよかった」

「死ねばいいのに」

母さん、僕もそう思ってるよ。

「死ね、死ね、はやく」

母さん、そんな力で首を絞めても死ねないよ。

「なんで死なないんだよ」

母さん、なんでそんな苦しそうな顔するの?

「はやく私の前から消えてよ」

母さん、泣かないでよ。

「ママのために死んでよ」


ガタンと大きな音がした。

目が覚める。

明るくてうまく目が開かない。

「宙!!!」

声のする方へ視線を移す。

そこには母親がいた。

また息が詰まる。

「生きてたんだ。よかった。」

母から信じられない言葉が零れた。

涙も流れていた。

僕はぞっとして助けを求めようとした。

その時だった。

母の後ろから悠さんが入ってきた。

「宙くんはお母さんのところに帰らなくちゃいけない」

僕は声が出なかった。

「これはもう決まったこと」

悠さんは苦しそうな顔で僕を見つめた。

僕は絞り出した声で聞いた。

「りっちゃんは?」

「……俺に任せてくれ。」

悠さんの言葉を信じることはもうできなくなっていた。

「じゃあ、宙。おうちへ帰ろうね」

悠さんは下を向いて首を振っていた。

僕に拒否権がないことはしっていた。

僕は重い体を持ち上げて立ち上がった。

母さんの後ろについて悠さんの横を通り過ぎる。


本当は僕の痛みなんて一ミリも知らない癖に。

僕は軽蔑の目で悠さんを見た。

悠さんの目は濁った涙が浮かんでいた。

遠くでりっちゃんの泣き声がして心が痛くなった。

振り返ることはしなかった。


新しくなった車の助手席に乗り込む。

母さんは無言でエンジンをかける。

緊張が走ったまま30分ほど経ったとき古びたアパートの前に車が止まった。

「降りて」

小さく頷いて扉を開けてコンクリートの上に足をつける。

アパートの階段から小太りのおじさんが降りてくる。

いつの間にか母さんは僕の横に立って頬を赤らめている。

まさかとは思ったが。

「宙。ママね再婚したの。」

僕は息をのんだ。

サイコン。

「宙くん、よろしくね」

おじさんの口からは異臭がして鼻が痛くなった。

「あきひとさんよ。パパって呼ぶのよ。」

僕は頷く。

「あきひとさんごめんね。この子話せなくて。」

話したら暴力を振るうのは母さんじゃないか。

「なによ、その目。」

母の鋭い声にびくっとなり俯く。

「まあまあ」

そう言っておじさんが僕の頭をなでる。

太い指が手汗に濡れていて気持ちが悪かった。


室内に入ると煙草のきつい匂いがした。

僕の部屋なんて当然存在せず固い床の上で食事と睡眠を取った。

おじさんは僕に同情の言葉をかけた。

僕がいなかった間の話をいくつかしてくれた。

僕の母親は夫が死んだ後、年の離れた兄は家出して気が狂ったそうだ。

「なにか困ったことがあったら言うんだぞ。俺は宙のパパだからな。」

そう言って黄色い歯を見せて笑った。

そんなおじさんも所詮人間だった。

お酒を飲むと気が大きくなって暴力を振るった。

僕だけじゃなく母さんにも。

僕の体には痣が広がって体を紫色に染めた。

おじさんが寝た後は母さんが泣きながら僕を殴った。

「あんたのせいで私まで捨てられたらどうするの」

こんなDVおじさんのどこがいいのか分からなかった。

僕は静かに暴力に耐え続けた。

煙草の匂いにはすぐに慣れた。

お酒の瓶で頭を殴られた時も内臓を蹴り上げられた時も。

ちっとも痛くなかった。

僕はおかしくなってしまった。

心はとっくに壊れていた。

汚いからという理由でめちゃくちゃに切られた僕の髪の毛を見たらりっちゃんはなんというだろうか。

小学校に通うことになった。

でも毎日同じ服を着て風呂にもほとんど入ってないやつに話しかける人間なんていなかった。

おじさんが帰るまでに家事を済まさないと便器に顔を押しつけられるのが決まりだった。

学校側も何も処置せず見て見ぬふりを続けた。

地元の中学に入学した。

入学した日におじさんから初めて性暴力を受けた。

「大人になるってどんなことかパパが教えてやるよ」

気持ち悪い汗ばんだ手が僕の体を触った。

母さんは死んだ目で行為が終わるまで見守っていた。

何年かぶりに感じた痛みは気持ち悪さを腹の中に残した。


こんなに汚くなってしまった僕を誰が愛してくれるだろうか。


おじさんはお酒を飲まない日でも僕を襲った。

3年間ほぼ毎日その苦痛に耐えた。


「お前、天文学者になりたいのか?」

おじさんの手には学校の志望調査プリントがあった。

僕は小さく頷く。

「なれるわけない」

おじさんは嘲笑いながら僕の体を触りだした。

とっさにおじさんを突き飛ばす。

「は?」

おじさんは金属製のバットを持って僕に近づく。

「パパが可哀そうなお前を愛してあげようとしてるんだけど」

僕は何度も頷く。

確実に死ぬと思った。

おじさんは金属バットを振り上げる。

僕は頭を押さえて震える。

「待って」

声を出したのはお母さんだった。

「なんだ、文句あんのか?」

「その子は殺さないで」

お母さんの声は震えていた。

手には包丁を持っていた。

おじさんはバットを握ったままだった。

バタン。

次の瞬間には決着がついた。

血を流した二人の大人が倒れているこの部屋には僕だけが立っていた。

倒れた人間を見下ろす。

二人が生きていても死んでいても僕には大して変わらない事実だった。

僕も死のう。


台所から大きめの包丁を持ち出す。

最期にどうしても見たいものがあった。

悠さんと話して名前だけ覚えた星座。

見てから死のう。

おじさんのパソコンにログインして検索をかける。

一番上にヒットしたサイトをクリックする。

絵だった。

今までで見た何よりも美しく輝いていた。

星。

カーテンを開いた外は赤く点滅していた。

絵に見惚れてサイレンが鳴っているのに気が付かなかった。

警察がドアを何度も叩いた後、押し入ってきた。

包丁を握った右手が小さく震えた。


最低最悪の日に僕は彼女の絵と巡り合ったのだった。


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