記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

(1枚目)真・女神転生Ⅴvengeanceプレイ記録

スクショ張りつつプレイ記録を書いていく ネタバレあるよ


最初のシーン 新キャラのヨーコに関する言及が増えてる


真Ⅴではじめてスクショにこだわった序盤のモー・ショボー
ボンネットにお座りする様子と逆光表現が美人さんすぎる
真Ⅴvではキャラクターモデルがより向上してる



アオガミによるバイタルチェック
逆に心拍数上がっちゃうんじゃなかろうか
真Ⅴvで追加されたシナリオでは「蛇神」がキーポイントとなる

バイタルチェックに象徴される「医療神」の側面

神話における「蛇神」には、冥界を行き来する能力などから生死に関わる権能、とりわけ「医療神」としての側面を持っていたとされている
アオガミのバイタルチェックは、この「蛇神」がもつ「医療神」としての側面を示唆するシーンなのかもしれない


「ぐぬぬ……」するアマノザコ
かわいい

うわーっ マーメイドだーッ!(ガッ

明らかに画質が上がっている!!

あきらかに

画質が

上がっている!!


東京タワーでの記憶
このシーンを通じて「アオガミが意図的に停止と再起動されたこと」が示唆されている
真Ⅴにもあったシーンだっただろうか……追加シーンかもしれない
記憶があいまい


ナアマしい……じゃない
悩ましいケツ


アクマであるはずのカディシュトゥが「祈り」を捧げるとは実に不可思議な発言
アッカド語で「捧げられたもの」を意味するカディシュトゥの祈る「神」とはなんなのだろう


まともとは
海魔として在ることが「まともな人魚」の姿なわけです
悪魔ですから

ここで筆者に衝撃はしる

へえっ!?
おおおお礼!?

まさかの追加要素

真Ⅴだとクエストクリア後、仲魔になるでもなく人魚たちの住処に戻っていったマーメイド
「まあ契約を結んだわけでもないし、得るものを得たらあっさり去っていくのが悪魔らしいといえばらしいよね」
「そーいうもんだよ悪魔って(でも多少さびしい)」
と思ったクエストだけど、真Ⅴvになってお礼が追加されました!
まあ普通に仲魔加入とかかなー、ストックにすでにいたらどーなるんだろう

とか思ってたんです


いますね


これは仲魔加入ですね、間違いない


えっ?

ええっ?

ちなみに映画「マーメイド・イン・パリ」では「人魚に魅力を抱いた人間」は次第に衰弱して死に至るという設定がありました

マーメイドがナビ悪魔に選べるようになりました

はやく……議事堂を攻略しなきゃ……

新規に追加されたクエスト

真Ⅴvで追加されたクエスト
畜生道に堕ちた僧侶というと手塚治虫「ブッダ」に登場するナラダッタが思い起こされる

悪魔の裏庭

極端な話をすると「悟りを得た人間」は「世間的な善悪すら超越する」価値観を持つと個人的に思っている
それはかつて「神は死んだ」と宣言した哲学者ニーチェの「超人」の思想に一脈通じる部分がある

ニーチェと「真・女神転生」の思想

「神殺し」の到達点は「唯物論」への回帰なのかもしれない

ニーチェの思想は哲学史上において、それまで西洋世界に浸透していた「キリスト教的道徳観への批判」に意義がある
ニーチェの思想はやがてニヒリズムと唯物論へつながっていく

ところで「真・女神転生」の世界は、東京という「現実世界・物質世界の象徴」のなかで「悪魔という空想上の存在が実在する世界」として物語が展開する

しかし「真・女神転生Ⅳfinal」では「観測」という概念によって「悪魔という存在は人間が観測することで存在するもの」ということが示唆された

これは「本来無機質な事象に対してなんらかの意味を付与してしまう人間の性質」がもたらしたいわゆる「創造」の一側面によるものだが、ここにひとつの矛盾が生じることになったともいえる

神や悪魔は「ヒトが観測したもの」とされる
しかしいっぽうで「神がヒトを創造した」という神話的な概念もある

そうなったとき、はたして「被造物」はどちらになるのだろうという疑問とともに「神殺し」とは「唯物論的視点にたって観測することで、人格的存在を付与されたアクマを再び事象ないしは現象に還元する」という性質なのではないだろうか

それはとりもなおさず「真・女神転生」という「現実に寄せたフィクションの世界」を「現実に引き寄せる」ことでもあり、現実によく似た世界であるからこそ「もしかしたら本当に現実にアクマがいるかもしれない」と錯覚してしまいそうになるプレイヤーを「いやいやそんなことはない」とブレーキをかける構造的な側面がある……ような気がしている

真・女神転生シリーズをやってると「実際に悪魔はいる」って錯覚しそうになる……ならない?

話がそれたのでプレイ記録にもどります

トウキョウ議事堂にて

含みのあるヨーコの発言
察しのいいプレイヤーはもろもろの情報を加味してヨーコの正体に気づいているのでは

尋峯ヨーコの苗字が意味するもの

真Ⅴの登場人物は、みな苗字に「実在する神社」に関わる名称があてられている
真Ⅴvに登場する尋峯ヨーコも例外ではなく、兵庫県にある「広峰神社」との関連性が考えられる
広峰神社の御祭神は素戔嗚尊五十猛命
「復讐の女神編」に絡めていうならば、同神社の「御霊信仰」に関わりがあるような気がする
「御霊信仰」は端的にいえば「怨みなす霊」をなだめ鎮める形の信仰ともいえる
ヨーコと「復讐という名の怨み」は間違いなく関わっていく部分だとおもう


アブディエルとの邂逅
ヨーコは顔を背けている
まちがいなくなにかある


主人公が住む寮の部屋が追加されました
ブックスタンドには「方丈記」が
冒頭で読んでいた本なのかも

「方丈記」が意味するもの

鴨長明「方丈記」は「ゆく川の流れは絶えずして」といった書き出しにはじまる、作者の仏教的無常観をつづった随筆
作者が体験した執筆当時の「厄災の記録」がつづられ、文の最後は「世間から隠棲し、寿命を迎えながらもなお悟りきれない自分自身」について語って筆をおいている

人生経験を通じて「あらゆるものは無常である」としながらも「そうした達観に至ることができない心の弱い自分自身」
そうした「ごくありふれたヒトのありかた」が「方丈記」に込められているのではないだろうか

「救い」を必要とする人間は

カディシュトゥは「救済」を掲げて東京に侵攻してくる
それでは「救い」となんであろうか
「救い」とは「心の弱さを持った人間」にこそもたらされるべきものである。そう考えるヒトはおおいだろう
かつてイエスは「健康な人に医者はいらない」と言った
確固たる信念を持った人間、主体的な哲学を持った人間はたしかに「つよい人間」であるのだろう
そうした人間にとって「救いとなるような教え」は必要ないのかもしれない
なぜなら、自分自身の考えを明確に持っているならば、迷うことがないから

しかしいっぽうで「自覚のない病める人間」もまた多いのである
「自分は確固たる考えを持っている」というヒトも多いだろう
しかしそうした「信念」というべきものさえ、自分自身を縛る毒となっていることが往々にしてある

「方丈記」の作者である鴨長明でさえ、隠棲の僧侶という立場でありながら「悟りを得るに至らない自分自身」に懊悩しているのである

2枚目につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?