読んだよ「OLと人魚」司馬舞

「OLと人魚」が面白かった

内容は一話完結のオムニバス集
表題作「OLと人魚」は、ペットショップで人魚を買ったOLにまつわる話だ

「うん?人魚って売ってるの?」と思うかもしれない
この世界では売っている
そしてOLは人魚を買った
ワンルームマンションに住んでるので人魚はお風呂場で飼うことにしたようだ
かわりにOLは銭湯通いをはじめた

人魚を飼ったけど、さて何を食べるのか
どうやらヒトと同じでいいらしい

食パン。食べる
カレー。美味しそうに食べる

それならばと色々料理を作ってみる
食べてくれる相手ができたわけで、ひとりきりだったOLの生活にもちょっとした潤いができた
ちなみに人魚は喋ることができない
わずかにキィと鳴くことはできる

ある時、帰ってくると人魚が風呂場を離れて玄関にいた
帰ってくるのを待っていたのだろうか
懐いてきたということだろう
身体が乾いてしまうのか、人魚が風呂場を離れるのはごくわずかな時間だけだ

人魚との生活に慣れてきたある日、雨が降った
銭湯に行くのも億劫だ
そんなわけで、人魚と一緒にお風呂に入った
ふたりきりの狭い浴室。お互いの顔が目の前にある。おもむろに人魚はこちらに抱きついてくると、そのまま浴槽に引き込んでキスをしてきた
OLは水中で溺れそうになり……

水中で生きる人魚からすれば、愛情表現だったに違いない
そこに悪意はなかったのだろう
それは描かれた表情からもなんとなく伝わってくる
しかし、OLからすれば命の危機を感じるショッキングな経験だった

OLと人魚、同じヒトの姿をしていても、本質的に「違う生き物」なのだ
ヒトと異類の決定的な「溝」
「OLと人魚」は、この決定的な「溝」による断絶を突きつけてくるところが面白い

表題作だけでなく、本作は「ヒトと異類」をテーマにした作品が収録されている
そして「溝」は、なにもヒトと異類だけに関わらないのではないかと思えてくるのだ

ヒトとヒト。同じカタチをした生き物であっても、けして相容れない、理解が難しい部分はたしかに存在する
それは生活様式の違い、生まれ持ったものの違い、それまでに形成されてきた価値観の違い、などなど、原因はいくつもあるだろう

多様化の時代、そうした「溝」による断絶に遭遇することはけして珍しいことではない
理解しようと歩み寄ることもできるだろう
しかし、理解したうえでも相容れない部分というものも、たしかに存在する

「OLと人魚」は「理解によるハッピーエンド」ではない
しかし、作品内で描かれる「断絶によるビターエンド」は、時代に生きる我々にとって、けして無関係ではないのだ




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