認めてほしかったんだなぁ

生きづらいから
もちろん何度も何度も振り返っている。
自分を。

過度に不安や心配をしてしまう
深刻に考えてしまう
悩み癖がある

自信が異常になく自己肯定感が低い

なぜ?なぜ?
なぜなの?

気質と諦めないといけない部分もある

でも、自己肯定感は少なくとも高められると思っている。
少なくとも自分を肯定出来れば
少しはワクワク生きられると思っている。


自信のなさ
自分を肯定出来ないのは
サッカーをしていた時の経験が原因だと
理解はしていた。

小学校から
公式戦に出場したことがなく
なんでかわからないけど
中2の時に
「同期に左利きがいないから自分が両利きになったら試合に出れるかもしれない」
と思ってひたすら左足で蹴ることを意識しまくって練習に臨んで
左足の方が上手く蹴れるようになり
中3の時に生まれて初めて
公式戦に出場出来た。

しかし

それまでも
いとこがザ・スポーツマンで
走り込みやらなんやらしていて
「あなたも走り込みやらしないの?」
と言われ続けていて
自分の努力は足りていないと
思っていたのを覚えている。

試合に出てもすぐ交代させられた。
両親が見にきていた。
その後に監督にお前もういらんわと言われた。

これがショックだったんだ。
だから自分は出来ないと思い続けてるんだ。
と思っていた。

出来事には目を向けれていたけど
その時の自分の感情に目を向けていなかったことに気がついた。
目を向けてみた。


あの時どう思っていたんだろう。


涙が出なかったのを覚えている。
諦めに近い感覚になったのを覚えている。

でも、どうやったんやろ。

本当はどうしたかったの?
本当はどうしてほしかったの?

と自分に問うてみた。
潜在的に自分はどう思っていたの?


認めてほしかった。


ということに気がついた。
そっか、承認欲求か。


妹とよく比べられた。
妹はピアノが得意で
弾けなかったら泣いて泣いて
それでも練習をして努力して結果を出す人だった。

母も音楽が好きな父も
コンクールで賞を取るような
練習をたくさんする妹が好きなことは
わかっていた。

自分はそんなに向いていないサッカーを
選び続けた。
サッカーはそんなに好きでもなかったと思う。
でも、それしかなかった。
友達もいたし。

塾にも行きながら自分なりに頑張っていたと思う。

でも、試合に出れない。

ずーっとそんなだった。

頑張って頑張って
22番のユニフォームをもらった日のことはすごく覚えている。
めちゃくちゃ嬉しくて嬉しくて
最高に嬉しかった。
父にも母にもやっとユニフォームもらえたよ!って言えて、喜んでもらった。喜んでもらえた。

でも、両親が見にきてた初めて出た公式戦で結果が出せなかった。

自分は出来ないんだ。
と思った。
悟りを開いたようになったのを覚えている。
あぁ、また失敗してしまった。どうしよう。
でも、本当はすごく悔しかった。

家に帰っても涙が出なかった。
励まされた。
まだ終わりじゃないって!って。


今なら言える。
そうじゃない。
本当は頑張った自分を認めてほしかった。
結果だけ見るんじゃなくて
試合出れたね。頑張ったね。って。
悔しかったねって。

何をやっても上手くやる妹を
見るんじゃなくて
自分を見てって
頑張ったって認めてって。

よく言われた。
向いてないことするより
音楽とか好きなんやからそっちしたら?って

でも、サッカーを選び続けた。
その自分が悪いこともわかってる。
交代させられた試合の日
泣けなかった自分が悪いこともわかってる。

それでもなんでも
それまでの努力も頑張りも
認めてほしかった。

あー、まだ頑張らないと認めてもらえないのか。
と思った時に
諦めた。サッカーを頑張ることを辞めた。

それでも高校でも続けたのは友達が一緒やったからというのもあっただろうけど
まだサッカーで認めてほしかったんだと思う。
高校では試合出れると思っていたから(蓋開けたら強豪校やってまた出れなくて諦めた。)
別に試合出れなくても良いやん
とか言われてたけど
そうじゃなくて頑張っていた自分を認めてほしかった。

いや
ありのままの自分を認めてほしかったんだなぁ。
自分の存在をずーっと認めてほしかったんやなぁ。

やるからにはもっと頑張りなさいよ。ってよく言われたなぁ。
勉強にしろ
サッカーにしろ。
そんなに頑張ってなかったんかな自分。
好きじゃないこと頑張れないよなぁ。

その後音楽を選んだのも
認められたかったんよなぁ。

建築選んだのもそうよなぁ。

今思うとそう。
それにもたくさんエピソードがあるけども。

母もだけど特に父に認められたかったんやなぁ。
それが本音やなぁ。


その感情に気づいていなかったなぁ。
認めてほしかったんやなぁ。

父が遺書を書いているらしい。
それを妹にだけ場所を伝えているということを2年前ぐらいに知った。母にも言っていないらしい。

あーそうなん?って流したけども
当たり前やと思っていたけども
家庭から離れてその話を客観視すると
そら自分、自己肯定感なくなる人になるよなぁ。
頑張っても頑張っても
認めてくれへんもんなぁ。

逆に妹は自己肯定感めちゃくちゃ高いし
我が道を貫いてるもんなぁ。
すごいなぁって思ってたけど、当然やんなぁ。
認めてもらってんもんなぁ。
ええなぁ。


書けた。
気づけた。
それだけで進歩。
親はたくさん愛を持って育ててくれたと思う。
でも、僕はアダルトチルドレンの要素を持って
今生きている。

それも認めた。
気づけたし
家も出れた。

こっからすてきな価値観をたくさん取り入れて
幸せになれる。
その下準備を3年ぐらいかけてしてたんや。
たくさんすてきな価値観、自分を肯定できる考えを取り入れれたんや。
たくさんセンサー働かせて。

よく頑張った。
よく頑張ってる。

まだまだ生きづらさの理由はこれだけじゃないと思う。
自己肯定感の低さの理由はこれだけじゃないと思う。
ただ、要因の1つはここにあることだけはたしか。

自分の心と向き合うって疲れる。
大変。
ただ、少し楽になった。

自分がワクワクすること

周りがどう思うか
どうすべきかとかじゃなくて

自分がワクワクすること
をやろう。

おかげで
そこそこ重ための話も受け止められる人になれた。
いろんな人の話を受け止められるように
気配りできるようになれた。
人を愛せるようになれた。


自分は人に愛されて良いんです。






大学もそんなこんなで
拗らせまくったなぁ。
後遺症ありまくりやなぁ。
大学での経験も自分を苦しめてるよなぁ。

しんどい人をほっとけなくなった。
その人を救うことで
自分を満たしてた。
過度に干渉して共依存。
終わってたなぁ。
そんなんで自分満たされへんのよ。
ただ、しんどいだけなんよ、、、。


今の自分も認めて
過去の自分の気持ちもデトックスして
すてきな価値観信じて受け取って
行動に移していきましょう。

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