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ポケモンの二つの方向性

 前回の続き。簡単にまとめると、どうしてバトルフロンティアの個体値で苦しまなければならないのか、ということから大風呂敷を広げるというもの。大体三~五世代あたりのまま時代に取り残された知識で書かれています。

 わざわざここで再確認する必要はないかも知れないけども、ポケモンの方向性は二つある。戦わせるのと集めたりするのとの両者である。前者はキクコ路線、後者はオーキド路線とでも呼ぼう。
 私を散々悩ませている(そう、現在形なのだ)個体値がこの両者のうちどちら側にあるのかというと、少なくともエメラルドのバトルフロンティアにおいては、前者、ポケモンは戦わせてナンボのキクコ路線であるというのは同意して頂けると思う。
 一応の知識としては、現在の、少なくとも三世代から代を重ねるごと徐々に、こうした育成環境が易しくなっている、ということは目にしている。すごいとっくんだとか、まっさらおねえさんだとか、ミントだとか。
 ゲームの技術周りの問題というのが多分に含まれていそうだけども、現在における、いわゆるポケモンの厳選という作業は、相当に敷居が低まっていて間違いない。私の手元にある範囲においても、ファイアレッドとエメラルドとを比較すると、個体値をジャッジしてくれる人がいる分エメラルドの方が易しいし、第四世代についてはパワー○○系が―といってもHGSSからだけど―が登場している。ブラックについては、ハネが有ったり、個体値を一度に教えてくれたり、パワー○○が孵化においても役割を持つようになったりと、増々育成の困難さというのが軽減されている。エメラルドとブラックを比べようものなら、その違いはもう冬の日本海側と夏のサイパンとでの海水浴に近い差がある。

 こうした簡略化ないし簡易化というのは、キクコ路線においては歓迎されるし、なされるべきものだろう。
 ただし、まっさらでいいのか、という議論や好みはあるだろうとは思う。
 ここでのまっさらというのは、ポケモンを実際の対戦で使う状態にまで仕上げる(≒育成)過程が全くないような状況を指している。ポケモンにおいては、こうした意味で「まっさらな」状態というのが現れていたことは殆どない、といって良いだろう。将棋や囲碁をここでの比較に加えることが適切であるかどうかはさておき、この両者は育成という意味においては「まっさら」なゲームであると言える。
 駒や盤面の用意というのはゲームの外側にあるし、戦術というのもそうだ。育成というのがそれらにあるとしたら、経験値を貯めると歩の移動が強化されるだとか、そうした方向性になる。逆に、ポケモンにおいて例えるならば、ゲーム機やソフトウェアを用意する必要性はポケモンの育成における大前提ではあるけども、ゲームの外側にあることには違いないし、戦術についても同様にゲームの外側において蓄積される。駒を育成することではない。
 純粋なゲーム、つまりルール上の勝利を決定する過程としてのゲームという意味では、そうした育成要素はない方が良い。無い方が良い、とはいうものの、ゲーム、特に商品であるゲームにおいては、そうした純粋さを目的する必要性は絶対的ではない。寄り道があっても良いし、寄り道の面白さがあって良い。
 この問題が現われるとすれば、例えば公式非公式を問わずに行われる大会における、いわゆる改造ポケモンの出現においてであろう。あるいはここに、いわゆる乱数ポケモンを付け加えることも可能だろう。目的において最適である個体値を狙うことが通常のプレイでは不可能であるか極めて困難である場合、前者のような明確なルール違反、後者のようなグレーゾーンに踏み込むことは躊躇されなくなる。目的において最適である個体値を狙うことが通常のプレイでは不可能であるか極めて困難である場合、前者のようなルール違反、後者のようなグレーゾーンに踏み込むことは躊躇されなくなる。まっさらにすればこの問題を迂回することができるが、楽しみも同様になる。ゲームが商品である場合には欠点にもなるから、無理に目指す地点ではない。そうするよりかは、適度なバランスに留めておくとか、少なくとも公的な大会においては、使用個体を申請すると貸し出されるだとか、そういった方法も有効だろう。

 これをエメラルドに当てはめて考えると、あまりに手間である、と言って過言ではないだろう。相手だけ6Vを出してくるのは、あまりにセコい。インチキ。FRLGとRSではバグで碌なもんが出ない徘徊系に至っても高個体を出してくるのだから、挑発的でさえある。


 なぜこのようなことが起こっているのか。というのが本題と動機であるのだが、それは多分、個体値や性格といった要素はオーキド路線から現れたものであるから、というのが原因であるように思える。個体値というのはエメラルドの前の世代、つまり金銀で現れた要素であるし、努力値の仕様も一新されていて、実質的には新要素とみても良い。性格と特性を加えても良い。
 オーキド路線というのはポケモンを集めたりするような方向性であると述べたが、これは何も図鑑を埋めるということのみに限らない。ポケモンを説物として見る、という言い換えが有効かも知れない。キクコ路線において、ポケモンを生き物としてみることはしばしば、キクコ路線の成立それ自体を怪しくさせる。戦術的にいくら有効であるとしても、大爆発させて良いのか、自爆させて良いのか、置き土産させていいのか、そもそも殴り合わせて良いのか等々。キクコ路線において、少なくともポケモンに親しみをを持つ良心的な一般トレーナーにおいては、こうした諸問題が都合良く無視されていないことには成立しない。

 ポケモンを生き物として見た場合、非常に隠されたデータである個体値の差から現れるステータスの差から可能となる、こっちが強い、あっちはこうだ、といった比較を通して、個々のポケモンがより活き活きとした存在に映る。そうした個性付けが主眼にあったのにも関わらず、何故かキクコ路線においてはそうした個性以上の重要性が生まれ、さらにその重要性を克服する手段―エメループ等の乱数はひとまず除外しておくとして―が、どのような理由にしろ存在していない、というのがエメラルドのバトルフロンティアの難易度を勝負の外側において高めている最大の理由だろう。・・・勝負の内側においても大概だけども。

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