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Kindle unlimtedのおすすめ:『東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない (PHP新書)』

 URLはこちらから。いつまでkindle unlimitedにあるかはわからないけど、少なくとも執筆時(1月5日)現在では対象になってます。ここでは、タイトルの通り、私がkindle unlimitedで読んだ作品の紹介をします。最初は、せっかくだしゲーム繋がりという事でこの一冊。

 内容は皆さんが読んで確かめるとして、筆者が注目したのは二点。まず、ゲーム以外にもゲームに匹敵するか上回る程の楽しみを感じる行為や現象が存在するという点、それと技術の進歩だ。

 著者のときどの詳しい経歴は著書や格ゲーマーwikiの項目に譲るが、必ずと言っていい程大きく取り上げられてるのは、東大卒であるという点だ。本のタイトルにもなっている。
 そんなときど氏だが、東大に入ってからもゲームが優先されていたが、大学の4年時は殆どゲームを触らなかったそうである。その研究の対象だったのが、高分子ゲルだ。高分子ゲルがなんであるかはともかく、そうした研究がゲームに勝る程に興味を惹くものであった。つまり、ゲームは人間の興味の対象として特別ではないし、唯一でもない。高分子ゲルに限らず各種学問や、スポーツ、芸術活動、そうした物の方が余程楽しみである人はいる。ここで共通して現れるのは思考、あるいは感性だ。ゲームの内側に現れ、ゲーム的だと言える場合の両者をそれぞれ、狭義の娯楽性、広義の娯楽性と呼んでいる。ただし、これらは道徳から離れて存在している。ギャンブルは道徳的ではないが、ギャンブルにも狭義の娯楽性的な思考は現れる。
 話が脇に逸れたが、つまりはゲームで行われている行為それ自体はある種普遍性があり、そうした普遍的な思考を引き出す事を目指して作成されている。こうした手法や思考には普遍性がある。

 第二の技術の進歩だが、これはときどが「プロ」ゲーマーとして存在するための大前提だ。著書にも触れられていたが、彼と同様にゲームが上手い人であっても全員がプロとして活動出来ている訳ではない。ゲームが上手いからと言っても、プロになれる訳ではない。これは運もあるだろうが、ゲームを配信する事が可能である点が大きい。技術の進歩とは、このような意味だ。いくらゲームが上手かろうと、それを見る人、日常的に見れる環境、さらに言えば見て理解できる人がいなければ興行として成立しない。これらは全て、技術の進歩によって現れた者だ。この技術の進歩は悪い話ではない。我々ゲームとそれなりに付き合いのある層にとって、ウメハラが介護を続けているのと、プロとして活動している事のどちらがより多くに益をもたらすかと言えば、後者だろう。介護が悪いとか程度の低い物だとかいう主張ではもちろんない。受け手の数があまりに違う。時代が時代なら、いくらゲームが上手いからといっても、それでより大数に益をもたらす事は無かっただろう。これはゲームに限らず、例えば絵の才能だったり、歌の才能だったり、はたまた研究や発明に関する類の物であったりと、様々に言えよう。こうした、なんというかのび太のあやとりのような才能がより役に立つ存在であるためには、こうした技術的な下地、それと制度的な物、社会的な物が必要不可欠だろう。「プロ」に限らず、ゲームをコミュニティで共有するような楽しみは、最近になって現れた。こうした楽しみが純粋にゲーム的な存在―格ゲーのように、狭義の娯楽性的な思考が優位に現れ、現実の貨幣との交換が不可能なゲーム―を強化してくれると、とても嬉しい。

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