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決戦の地【小説】

「かの国は必ず、滅ぼさねばならぬ」
 国民の期待を背に議場で立ち上がる男がいた。会議を聞くほとんどの男は立ち上がり手を叩く。彼に賞賛の言葉を口々に叫んだ。
「我が国は剣でお返しするのだ」
 彼は三百人の議員の前で誉ある台詞を紡ぐ。翻るトゥニカの影が半年の任期を終える独裁官に重なる。
「やつに決戦を挑んではならぬ。やつは戦術の天才だ。決戦を徹底的に避け、持久戦に持ち込むのだ。やつにはそれが一番効果的だ」
 独裁官の譫言のような言葉に耳を貸すものはなかった。
 新しい指導者は、彼を指差しさらに言葉を重ねる。
「逃げ回りたった一人の悪魔に怯える『のろま』はそこで見ておれ」
 民は限界だった。北方の山脈を越えてやってきた外敵を打ち滅ぼさなくてはならない。血気盛んな戦闘民族は、我が都市と、我が同盟都市が蹂躙されるのをただ見ていることなど到底できないことだった。

「必ず、敵を倒し、我が都市に平穏を取り戻してくる」
 僕は心底馬鹿にしていた父と同じ言葉を母に告げる日が来るとは考えもしなかった。我が国は剣でお返しするのだ。かの国は必ず、滅ぼさねばならぬ。我が都市に平穏を。扇動に乗せられた父が指導者から何度も言われ、何度も僕の前で誇りのように語った覚えたての言葉を今や自分が何度も口にしていることに驚いている。
「あなたを育てて十七年。あなたが『名誉の道』を歩むことは私の誇り」
 母は父が残した武具を何度も磨きながら何度も繰り返した。
「でも、私はあなたが心配でならない」
「大丈夫」
 我が国は未だかつてない七万の大軍でもって侵略者どもを叩き潰す。我が半島から離反した裏切り者たちの寄せ集めの軍隊など恐れるに足りない。そう言おうとして、それもまた議員の演説の引用であることに気づいて、口をつぐんだ。
「僕は父上のようにはならない」
 一年前。血に染まる湖畔で栄誉の死を遂げた父の報を聞いた時に何度も心に抱いた決意は未だ揺るがない。あんなに嫌で仕方なかった父が今の自分を作っていることは非常に癪なことだが、それでも自分の誇りの一部になっていることが心地よくもある。
「気をつけて、そして、無事に帰ってきてちょうだい」
「もちろん……必ず」

 武具が擦れ、金具同士が当たる音が街道を進む。同胞とともに、仇敵を打ち滅ぼすために、僕らは南東に向かう。
 地中海の夏が近づく。父の面影が近づく。そして、決戦の地も近づいてくる。
 カンナエの地が、待っている。

あとがき

時代考証、甘かったらごめんなさい!

詳しい方はすぐ気づくと思いますが、これはポエニ戦争をテーマに書きました。これは小説の品評会用に出したのですが、参加者に世界史に詳しい人がいるので世界史をテーマに書いてみたかったのです。

一応文章の中に散りばめたかった情報を記しておきます。

かの国は必ず、滅ぼさねばならぬ
→大カトーの「カルタゴは滅ぼされるべきだ」

半年の任期を終える独裁官
→ファビウス・マクシムスがモデル。個人的にすごく好きな人物です。

のろま
→クンクタトールの訳語です。第二次ポエニ戦争前半(カンナエの戦い以前)では「のろま」の意味で使われていましたが、やがてそれは「慎重」などの意味に変貌していくことになります。

北方の山脈を越えてやってきた外敵
→ハンニバル・バルカがモデルです。「あの大軍の中にお前という猛者はいないのだ。お前のいないローマ軍が勝てるわけがなかろう」と部下を鼓舞した話が好きです。

名誉の道
→クルスス・ホノルムのことで、ローマ貴族がコンスルになるまでのキャリアコースを示した言葉です。

血に染まる湖畔
→トラシメヌス湖畔の戦いがモデルです。濃霧の中にローマ軍を誘い込み、奇襲によって殲滅した戦いです。

カンナエの地
→カンナエの戦いです。ハンニバル率いるカルタゴは七万を号する大軍を五万の兵で完全包囲、殲滅した戦いです。古代史上のかなり有名な戦いです。

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