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おこもりさんが5日ぶりに外に出たらおかしなテンションになった

前回の続きの話。自分の「やることリスト」に無意識に気を取られて、自分の状態に気づけなかった私が、4日目にやっと気づき、まず最初にした行動の話。

自粛4日目にテレビ電話した友人それぞれに
「散歩とかしてる?」「太陽浴びてる?」
と聞かれたが、もちろん答えは「ノー」だった。

カーテンを閉めきり、一切太陽を浴びていなかった。というのも、私の家の前がマンション建設中のため、太陽が徐々に遮られつつあるからだ。

よし、太陽を浴びよう。

もうこれは外に出るしかないため、早速、翌日家の外に出てみた。実に5日ぶりだ。ちょうど定期券の払い戻し期限が迫っていたし、ついでの用事も済ませよう。

お気に入りのつなぎを着て、お気に入りの音楽を流し、もうこの時点でちょっとノリノリである。そして、久しぶりにドアノブに触れた。すると太陽の熱ですでに若干温まっており、もうそこからなんだか自然のパワーすら感じていた。ドアを開けると、

おっと。太陽が、まぶしい。

目を細めながらも、太陽のまぶしさに確かな喜びを感じている。

………。

冷静に読むと非常に恥ずかしいのだが、これが太陽を久しぶりに浴びた一人の反応と思っていただけたら何より。

〈今思えば恥ずかしい選手権〉は、まだまだ続く。

家を出て少し歩いてから、何を思ったのか、普段しない自撮りなんてしてしまったのだ。それがこちら。

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誰に送るでもなく、今の今までアルバム内で彷徨っていた。この写真を見てもわかるように、目が少しにこやかに見えなくもない。普段しないことをしてしまうほど、気持ちのいい天気に心が軽やかだったのだろう。もう日が経った今はそういうことにしておきたい。

この通り、私は非常に単純である。それに関して悩んだこともあるが、自分の単純さに救われたり、明るく前向きになれる機会も多いのは事実だ。そして何より、それを好んでくれる人たちが周りにいてくれるということが最大の救いなのかもしれない。

あと、些細な感動や幸せの発見家でありたいとも思っている。たとえば、ほんの些細な「いつも」とのちがいが、とても彩り豊かに心に刻まれることがある。新しい靴を履いた時の足取りやいつもの道が少しちがって見えたり、よく行くカレー屋さんでトッピングを変えた時のワクワクみたいな。

そういう風に過ごしていた私が今回、心の病みを感じてしまったこと自体が、異常事態だった。

いや、自粛になっても今までと変わらないでいようとしたから、心がついていけなくなったのかもしれない。

コロナ以前の「当たり前」がいよいよ本格的に薄れていく時、そしてまた新たな「当たり前」が浸透した時、「以前」に執着したり固執すると無意識にストレスを感じるのだろうか。合わせるでもなく、オリジナルに変わり続けることであの「いつも」が変わらないでいられるのかなあ。


そのための工夫として、この日私はお気に入りのつなぎとお気に入りの音楽を身にまとって外に出たのだろう。結果、いつも無意識に感じていただろう太陽や歩くことの喜びを味わえた。

変わらない喜びは、どんな状況になろうときっとあるはずだ。そう信じたい。

あ、今、気がついた。現にこうしてnoteを書いていること自体が、私にとっての大きな変化のエビデンスなのかもしれない。

そして、私のおかしなテンションは自撮りだけでは収まらなかった。

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。