やらない理由を探すのやめたら、踏み出す一歩は重くなかった
10日も空いてしまいましたが、
前回からの続きです。
読んでいただいた方々、お待たせしました。
ただ何かを待つというのがワクワクしないなら、それは私には合わないことなんだなという実感だけは自粛中ずっとひしひしとあった。
映画と言葉が好きだから、なんかそういうことができるものはないものか。無理にじゃなく、ワクワクできることを掘り下げて考えてみようかなと、昼からビール飲みながらの私。
「無駄な時間にしない」ではなく「すべての時間が無駄じゃない」と心から思えたら、踏み出す一歩もそれほど重くはないだろう。そんな風に一人で考えたり、誰かとやり取りしながら試行錯誤していた矢先、
「〇〇(某動画配信)とか向いてるかもよ」
不意の知人の一言。
「修学旅行と思っていただいて!行くまでは嫌だけど、行ったら楽しかったみたいな(笑)」
と言われ、なるほどやってみないとわからないや。
ほほぅ、調べてみよう。
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食べたことないタピオカを苦手と言って未だタピオカミルクティーを飲んだことがない私。「デジタル苦手」と最初から調べもせずに突き放して、知ってみると今までなぜ避けていたのかと「便利さ」に一人で感激したりする。
自粛終えたら、タピオカミルクティーを一度飲んでみようか。結局知ることから始まり、自分の勝手なイメージがあるだけで、知れば案外苦手じゃないということがわかったりする。
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あ、なんか私でも気軽に始められそうだ。
調べてみた結果そう感じられて、早速アプリを入れて登録してみる。
(この時点で、
すでにハイテクさと激しさに
若干のめまいはしていた。)
みんながどんな風にしているのか見てみようと一人の女性の画面をポチッと押してみると
<始めたばかりのerika osanaiさんが来ました!>
との表示。
するとすかさず、
「erika osanaiさん、ありがとうございまーす!」
と、かわいい女の子に満面の笑みで手を振られる23時。
私はあまりの瞬時の情報量の多さに気が動転して、「時を戻そう」と願わんばかりに画面をひたすら上に上に指でスワイプさせて、やっとの思いで別の画面に戻した。
焦った。まじで、焦った。
これは、私には無理だ。
始めたばかりのerika osanaiの免疫にはまだないものだった。
震える体のリスクを背負ってまでの「一歩」は、今はいらない。
さて、振り出しに戻った。
しかし、やるからには何を目的にどの層に向けて配信するかを考えてアプリを登録したため、これを「どうにかしたい熱」が残っている。
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何がやりたいのか。
映画と言葉、映画と言葉、言葉言葉言葉。
言葉………。16歳からつけているノートがある。今はもう何冊目になったかわからないが、そのノートたちは「その時々の私の身体の一部」と言っていいくらい分身アイテムになっている。
文章を書くのはずっと好きだが、人前に出すものとして書いたことはないし、Twitterの140文字はいつもいっぱいになって、それでも伝えきれない私の語彙力で可能なのか。全く読まれないのも自己満足みたいでいやだなあ。すごく批判されるのもいきなりこわいなあ。とにかく自信が、ない。しばらく、自問自答した。
よし。やらない理由を探すのは、やめよう。
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そんなときに地元の友人から「映里香とLINEしたから決断できた」と不意に送られてきた。どうやら私の言葉で一歩踏み出せたらしい。
「そういえば」と色々思い当たることもあり、
学生の時からの様々な点が線で繋がった気がした。
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先のことなんてわからない。やってみないとわからない。やる前の「今」は何もわからなくて当然。
やる過程が少しでもワクワクできてたら、とりあえずその心に正直になってみる。
そんなわけで始めたのが、noteです。
正直、分身アイテムのノートに書く言葉は無責任で殴り書きの覚書みたいなものだから、noteとなると難しい点もあり、一歩目の投稿は本気でどきどきした。
いまだ慣れず、毎日下書きするも、消したり足したりが止まらず、5行に10日かかったりする。(笑)
何事も始めるのも続けるのも深めるのも繋げるのも楽しいだけじゃない。様々な感情がつきもの。
だが、読んでくれる人の反応がそれを超える喜びにもなる。そういう喜びの蓄積で、一歩また一歩と踏み出し続けられるのかもしれない。
改めまして、これからもよろしくお願いします。
読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。