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自分で動かないと運も動かなさそうかな、なんて。

<note>に行き着くまでは少し遠回りだった。

宣言が出てから1週間以内という割と早い段階で「○○がオンラインで芝居をやる」「○○が作品を撮る」と、私の周り、いわゆるSNSによる情報上での「みんな」は勢力的であった。

正直な感想、焦った。(笑)

もう焦ったりそういうのいいじゃないか私。
それでも、やはりその「みんな」が気になる。

私なんて赤ペンでやることリスト(というか何かやりたい気持ちをぶつけたリスト)に気を取られて落ちていたとこだ。そんな私とは違い、この状況の中、芝居をやろうとする人たちがいる。

2つ目の正直な感想、みんなまじで、すごい。(笑)

でも結局、気にはなっているくせにそこまで「興味」を持てていない私がいた。と言っても、その時もし誘われていたら「やるやる!」とひょいひょい参加していただろう。

しかし、誘われない事実はその時の自分が生み出し引き寄せていると思えた。なにせ、「限界」を迎えていたことに気づいたばかりだったからだ。

それでも自然と湧き起こってくる
3つ目の正直な感想、なんかやらなきゃ。(笑)

焦り→尊敬and感服→焦燥感

これは行き着く文字が同じことからもわかるように、一度はまると抜けられないルーティーンだと思った。

実際「なんかやらなきゃ」はなんかやったところで、自己満足で終わるか、結果何もしていないのと変わらないような。「この時間を無駄にしないぞ」と意気込む方が取り返しのつかないことになりかねなかった。

少し前を向き始めていた私は

「毎日ただ吸って吐く、それだけでもいいや」

というところに落ち着いていた。やっと心からそう思えていた。そうなると、人と比べる必要も一切なくなる。

それから少ししてから生まれたのが、やっぱり「なんかやりたい」だった。
そこにもう無駄な焦燥感はなかった。

しかし、ナニヲスル?

そう思っても、簡単に「やりたいこと」が見つかるわけではない。

そんな時にNetfrixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』を一気見した。

自分が出演している作品でもあるが、今だからこそこの「非日常」感を味わいたい気持ちがあった。

そんな軽い気持ちだったが、観る前と後では、あの登場人物たちが全9話の間にいろんな変化があったように、私の中でも何かがカタッと動いた気がした。

またドラマの中の桜が素晴らしく綺麗で、今年なかなか見られなかった桜だったから、「いつもの桜」とも思えなかった。

私の好きな東京タワーもたくさん出てくる。そういえば、滅多に出会わない東京タワーって、見るその時の自分の心境で、毎回ちがって見えるなあってことを思い出したり。

ドラマや映画や娯楽と呼ばれるものは、その時の観るタイミングがきっとあって、そのタイミングだからこそ感じられるものがあると思っている。

「欲望が大きければ大きいほど、自分を支える強さが必要になってきます」

この作品の中の好きな台詞の一つだが、自粛4日目に自分で自分を支えられなくなっていた私は、今まで自分を支えるということをそこまで意識したことがなかったのかもしれないとも思えた。

その「支え」は自分で自分の「足りないところを補う」ことでもある気がした。蜷川実花さんがおっしゃるように、まさに「自分のフォロワーは自分」なのかもしれない。 


たくさん迷ってもがいて、闘って、いつだってたくましく歩み続けたい。

そのためにも受け身じゃなく、自分から動こう。何よりそれを一番に思った。

その後すぐにあることを仲間に提案し、自分一人でもやれることも考えようと思った。

これがなかなか難しい。物語を書こうとしたこともないくせに最初からできないとも思っていたり。やったことない何かをやってみようというとき、やらない理由を探しがちになる。

それでも私は〈note〉に行き着けた。

その後、2日かけて家のあらゆる棚や収納場所を大整理した日があった。心も部屋もとってもすっきりした。部屋の中に自分の好きなエリアとかもできて、うれしかった。

そしたら、その日のうちに仲間からある誘いがあった。こんなわかりやすい一日があるのか。

しかもそれは私が「こういうのどうかな?」と提案してみたことがキッカケの誘いだった。実現に向けて仲間が動いたのだ。

自分が動かないと、動かせない何かがある。

しかしこれは〈note〉を始めようと思ったあとの話だ。そこに至るまではまだほんの少しだけ、ちょっとしたハプニングがあった。

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。