あと1週間だけ、視聴できます。
前々回の投稿で書いた、自粛期間中に何かできることがないか提案してみて実現したのが、実は〈5分間のリモート連ドラ〉だった。
とてもにこやかに結論を言うと、
二度と一人では、やりたくない。(笑)
そんなはっきり言える経験もなかなかない。
ちなみに、これは「一人での撮影」に限ることである。
だが、得たものは計り知れず、後から気づく恋心みたいな、じわじわと私に痕跡を残している。それをなかなか言葉にできず、noteに書くかも迷ったが、やはりここに残すことにした。
5月15日。
これからリモート連ドラを配信していこうと「ドラマ喫茶 AOMURA」というのを立ち上げた、谷碧仁(劇団時間制作主宰)と野村龍一(天才劇団バカバッカ所属・朝劇主宰)とのリモート顔合わせ。
この時点で台本がまだ1ページもない。
「いつやるの?」
配信は5月25日から1週間、と言う。
「無理でしょ」
と、両手をあげたくなるのをグッと抑えた。
や、やる前から決めつけるのは良くない。
内容は兄妹の話で、映画『メメント』や他にもあるように、ラストからどんどん遡っていく展開にすると言う。
おーい!間に合うのかぁぁぁ!!!
今なら叫べそうだが、当時は先の見えなさに冷静な不安しかなかった。
ひとまず、使えそうな素材撮りを開始してみる。一人でアングルやカットを考えて撮ってみた。
「あ、私映ってない」「ちょっとズレてる」
撮っては修正しの連続で、自撮りじゃない撮影は一人だとこんなにも時間がかかるのかと、『マッドマックス』の砂漠に一人取り残されたようなわけのわからない途方のなさを感じていた。
それでも配信日は迫ってくる。
恐ろしい時間だった。
リモートでやり取りしながら、なんとかできた第1話。2話公開前に、1話を見た人から正直な感想をもらい、手探りの3人で作る上で足りないものも再認識した。余計に強い思いが沸き起こった。
何としてでも今できる最大限のことをやりたい。
朝まで撮り直しが続こうが、ひたすら撮った。すると、不安と途方のなさばかりだった最初とはちがい、徐々にこだわりや求めるものが変化して浮かんできた。
「こりゃ、もっと追求できる」
各話の台本はその話の配信日の2日前か前日に送られてくるというのが定着し始め、3人の中でのやり方も見え始めた。
台本編集含め、毎話少しずつ変わっていった。私もリモート撮影に慣れ始め、芝居に関して非常に勉強になることも日に日に増えた。
そして、これは声を大にして文字も大にして言いたい。
今まで撮影に関わる全てのスタッフの皆様に感謝していたが、心からの実感が伴ったのは今回の撮影のおかげだ。一人で撮影をやってみて、全部署のスタッフの皆様を、本気で尊敬している。
二度と一人ではやりたくないと思った経験で得た気持ちは、その分きっと忘れられないだろう。
あと、今まで映画が好きでよく観ていたが、いざ自分でアングルやカット割を考えて撮るとなると、なかなかむずかしかった。今までそういうところを意識してちゃんと観てなかったんだなということも痛感した。
撮りながらも、こうして感謝と反省の日々。
それは撮り終えた今でもふとよぎり、リモート連ドラをやる前と後では、少しずつだが何かが変動しているのかもしれない。
そして毎日芝居し、作品について考えたり、話し合えたこと、これもほんとにかけがえのない時間だった。
『マッドマックス』みたいな砂漠にいようが進み続けられたのは、谷さんと野村さんが一緒だったからだ。
声をかけてくれて、
本を書いてくれて、
編集してくれて、
何から何まで、本当にありがとう。
そして、視聴してくださった方々の有り難い感想や厳しいことを言ってくれた方々のおかげでもある。結局、一人では確実にできなかった。
今回の7days contact『兄妹』編に関わった制作、編集してくれた皆様、改めて感謝します。私にとって沢山のことを考えられた時間で、何にも代え難い自分との闘いでもありました。
もし興味を持っていただけたら、こちらから6月30日まで視聴できるので、ご覧いただけたら幸いです。“1杯の珈琲を嗜むようなドラマ”というコンセプトを掲げた企画です。
https://filmuy.com/aomura
noteを始めてみて一つ実感したこと。
私はなんだかんだと自分を追い込みたがる。笑
二つの選択肢があったら、
あえて先の見えない「砂漠」を選ぶのかもしれない。
砂漠で遭遇再会した人たちを頼もしく愛おしく思い、それが私の「オアシス」にもなって、新たな「オアシス」を目指してまた進もう、ってなる性分なのかな。
プライドやただの欲ではない「好き」の原動力は可能性の枠が広がるとも思った。
6月になり、緊張する機会が急に増え、2日前からそわそわしてしまう私。
ただ、自粛期間中に離れてても一つの作品を作ったこと、その間に反省したり自分と向き合う時間が多かったこと、これが目に見えて今にとても影響している。
全く先の見えない未知への新しいチャレンジを経て、一段飛ばししてみる勇気みたいな、今までのただの熱い「意気込み」に代わるものが少しずつ変化し始めているのかもしれない。そんなことを昨日も撮影現場で緊張しながら実感した。
二度と一人ではやりたくない、というのはあくまで撮影に限ることだ。やってる時は「やらなきゃ」という気持ちは一切なかった。そのおかげか、得たものは今までになかった「意識」として浮き彫りになり、むしろ後から実感することの方が多い。ただただ今は思う。
あの時に、やってよかった。
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