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旅にお礼を言わせてくれ②

前回のnoteにちょこちょこスキが届いていて、うれしい。
しっかりと自分や人生について文字にした内容だからこそ、余計に。

さぁ今回は大学2年の旅について書きたいと思う。
沖縄の旅で遭遇した、「地球一周の船旅ポスターとの出会い」から始まる旅である。

私の中であまりに大きなターニングポイントすぎて、脳内を正しく文章にできるのかと不安だし、はたまた自分の聖域に留めておきたい部分もあるので筆を取るまでが重かった。

それでも文字にしてみようと思う。

ポスター貼り、めちゃくちゃ楽しかった

詳細は割愛するが、「地球一周の船旅」(ピースボート)の乗船資金のため、自分が申し込むきっかけとなったポスターを貼り歩くことになった。
なぜポスターを貼りまくることが乗船資金に繋がるのかは、以下の記事を参照にしてほしい。

ともかく大学の授業のない週3日間は、朝9時から夜7時ごろまで「ポスターを貼ってくれ」と交渉し続ける毎日が始まった。いわば交渉材料を持ち合わせない飛び込み営業、「世の中にはこんなに良い人も、嫌な人もいるんだ」ということを日々痛感した。

飛田新地の無料案内所

私の一番記憶に残っているポスター張りの思い出。

なぜか風俗街で有名な大阪の飛田新地で、ポスター貼りをすることになった。怖いもの知らずだった私も風俗店に飛び込む勇気はなく、中がよく見える無料案内所だけを回っていた。

そんな中飛び込んだ無料案内所、50歳前後くらいのおじさんがポスターを貼らせてくれた。せっせとポスター貼り作業をしていると、おじさんが話しかけてきた。

「地球一周いいね。俺も昔マチュピチュに行ったんだよ。」

めっちゃ意外でおどろいた。
韓国や台湾ならまだしも、地球の裏側・ペルーのマチュピチュに無料案内所で暇そうにしていたおじさんが行ったのか。

同時に「無料案内所のおじさんは、そんなチャレンジングなことはしないだろう」という偏見を持っていた自分に気づいた。今日出会った人の性格や人生なんて計り知れないのに、そんな目を自分は持っていたのか。

その後15分くらいおじさんの海外旅行・珍道中を聞いてから店を出た。おじさんの話はワクワクしたし、「飛田新地の無料案内所のおじさんと仲良くなる」という謎イベにも高揚感があったし、自分の偏見を目の当たりにした驚きもあって、よくわからない興奮状態になった。

また新しい世界、自分の知らない自分に出会ってしまった。

南方の中華料理屋さん

阪急南方駅の近く、カウンターだけが並ぶ古めの中華料理屋さん。店内は熱気と蒸気に包まれていて、常連感のある男性たちが脇目もふらず中華そばにがっついていた。

忙しそうかな?と様子を伺うつつポスターを見せながら入店すると、案の定大将(?)からの怒号が飛んできた。

「なんやそれは!」

びびりながらも説明したけど、やっぱりポスター貼りはNG。
それは慣れっこなんだけど、大将が発した一言が頭に残っていた。

「人生は、自由じゃない」

「人生は、自由だ。」という言葉がポスターの中にあるキャッチコピーで、私はその言葉が大好きだった。
「自分の行動で全ては変えられる」と確信していた時期だったから、大将の言葉に対しても「変えようと思えば、絶対に変えられるのに。気づいていないのかもしれない。」と思った。

でも船を降りた後、年齢を重ねるごとに感じたこともある。
人生は自由だけど、自由のハードルの高さは人によって全く違う。

もしかしたら大将もやりたいことがあるけど、家族を支えるため、従業員を守るため、そんな背負ったものがあってお店を辞められないのかもしれない。

みるからに女子大生、自分以外に守るものが無さそうな私から「人生は自由だよ」と言われたら、「あんたとは全てが違うんだよ」と言いたくなったのかもしれない。

真偽はわからないけど、日常の覚えてすらいない人々の中にも、たくさんの感情や人生ストーリーがあることを忘れてはいけないと思った。

100日間の船旅

そして数千枚のポスターを貼らせていただき、2017年8月、出港。
12月に帰ってくる約3ヶ月間の船旅を日記に記していたので、当時の心境や考えを見返すことができた。本当に続けていて良かった。

今は入国が難しくなった、ミャンマーを訪れたときの日記
写真貼る予定が貼ってない、ズボラ

人生初海外の地球一周は、初めて出会うものばかりだった。

命よりも神や信仰が大事だと本気で思っている、宗教を重要視する文化があること。
電車の中で演奏を始めてチップを集める自由さ。
絵画のように美しいカリブ海と空。
地べたで寝ているストリートチルドレン、その存在に慣れてしまった自分。

海外の国々だけじゃない、船内での交流も私には刺激的だった。

世界を学びたいと定年後に乗船された方、同年代で平和問題に取り組み続けている人、動物性の食物は取らないビーガンの人。
自身の性的指向に悩み続けている人、オープンにしている人。
船内が友達だらけの社交的な人もいれば、1人の世界を探求し続ける人もいた。

その誰もが、人生の同じタイミングでこの奇天烈な船に乗ると決断し、巡り会った。
きっと同じ100日間の船旅でも、感じたこと学んだことは三者三様。でも同じ時間を共にできたことはやっぱり嬉しく思う。

今もオフライン・オンラインで繋がれていること
嬉しく思います

その中でこの旅が教えてくれたことを2つ、ピックアップしてみた。

旅は、命すらも救い得る

私が100日間の船旅で感じた、旅の価値の1つだ。

「自分で命を断とうと思っていて、最後の思い出作りとして乗船した」

この言葉を聞いたとき、素直にショッキングだった。過去乗船者の方で、今はカウンセラーとして活動されている方の言葉だった。

あまりにこの言葉が記憶に強く詳細を思い出せないのだが、とにかく10代の頃に自殺願望を抱き、その冥土の土産として船に乗ったらしい。

しかし船旅の後、その「命を断つ選択」を捨てた。
きっと思考的にも物理的にも広い世界を知り、または素晴らしい出会いがあり、考え方が大きく変わったのだろう 。

薬や手術でつなげる命があると同時に、旅がつなぐ命もある。
ここまで直接的に命を救うことは稀でも、少なくとも死んだ心を旅によって回復させる人は多くいるはずだ。

これ以降「思考を変えることで救える心や命があり、その思考の変え方として旅は1つの選択肢だ」と強く信じるようになった。

無知の知

乗船中、乗船後ともに一番強く感じていた学び。

私はとにかく船の中で、毎日のように降り注いでくる「初めて知ること」「初めて見るもの」に溺れていた。

何かを知れば、新たな疑問が浮かび、また知らないものに出会う。その繰り返しが楽しい反面、どこまでいけば分からないことがなくなるのか?と思った。

また「知ってしまった」後に、自分はどうすれば良いのか分からないことも多かった。
自分の着ているファストファッションは、どこかの国で搾取されている労働者の成果物かも知れない。自分の食べているお肉は、無惨な加工処理をされたのかも知れない。なぜ飲み水や家がない人々が命を落としているのと同じ時刻に、同世代の大学生は授業中に寝て、飲み会では大量の食べ残しをしている?なぜ私は日本の政治に対してコメントができない?

あまりに情報過多で、また客観視をしながら情報を整理できるほど成熟もしておらず、下船後はとても落ち込んでいたのを覚えている。

地球一周どうだった?と聞いてくれる友人に対し、あまりに情報が多すぎて、「楽しかったよ」としか言えない。大学のキャンパスで目に入るもの全てに疑問が浮かぶ。世界ではあんなに色々なことが起こっているのに、私はその一部を知って脳内全て変わったくらいなのに、日常は何も変化していない。

今の自分からすれば全てを自分ごとにしなくても、凹まなくてもいいよと思う。問題を知ったからといって、解決できない人が悪ではない。もちろんアクションできるとより良いけど、できないからと言ってダメなわけではない。

全て自分の「無知」を知れたから沸き起こる感情や疑問であり、それ自体尊いものなのだ。

これが地球一周の船旅が教えてくれた「無知の知」である。

まとめられないけれど

正直この旅で学んだことなど多すぎて、数えきれない。
自分すら気づいていないけど、今の自分を支えていることもたくさんあると思う。

それでも一番に思い付いたことを述べるなら、
「旅は命すらも救い得ること」
「無知の知」
の2つかなー。

あ〜りがとうじゃ伝え〜きれな〜い。

たくさんのことを教えてくれて、私の人生を確実に変えてくれてありがとう、地球一周の船旅!






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