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きみは自分の服から出た糸くずを異国に捨てていけるか

 わたしは捨てていけない。

糸くずの気持ちを考えるとあまりにも切なすぎるからだ。

 躊躇なく異国に糸くずを捨てていけるという人は、服の一部として何度も同じ季節を過ごしてきた糸くずを、あるいは下着として誰よりも近くで自分に寄り添ってくれた糸くずを、異国でサッと払ったものならばその糸くずが二度と日本の土を踏むことはできないのだと考えたことはあるだろうか。

言葉もわからない地で、異国の人々に踏まれて一生を終える糸くず。
帰国後も、異国の地でもう土になったかもしれない糸くずのことを思うと涙が出ないこともない。


 ある有名男性ミュージシャンは、地方でのライブの際にはあえて使い古した下着を履いて行き、ライブ後そのまま地方で捨てて身軽になって帰ってくるらしい。
糸くずでセンチメンタルになっている人間からするとまったく信じられない。


 先日、中高時代の女友達とコロナ明け初めての海外旅行でタイに行った。

常夏のタイは物価が安くて食べ物はなんでも美味しくて、遺跡や寺院も日本にないようなものばかりで、とても楽しかった。

 余談だが、わたしは自分に甘いのでどんなに汗をかいた日でもエアコンで汗が乾けば不快感よりも眠気を優先して入浴せず寝てしまうことが多い。

今回一緒に旅行した友人はきっちりしており、大学時代にその友人と旅行した際にはわたしも「夜風呂派からすると朝風呂派は最高に不潔な存在なのだから、頑張って夜中に風呂に入らなくては…でもちょっと横になって風呂に入る英気を養いたい…」と思いながらベッドに寝転んだが最後、結局は寝落ちして旅行の醍醐味である深夜のホテルタイムを潰したかつ、清潔な友人の隣で不潔なまま目を覚ましドタバタと朝風呂に入るという失態をおかしたことが何度かある。

しかし、今回の旅行を前に友人は筋金入りの朝風呂派になっていた。

1日目の夜に夜風呂派転向をカミングアウトした友人は「就職してから夜風呂しんどいこと多くてさ、眠いときに動いても効率悪いじゃん?それに朝入った方が頭もすっきりするし」と完全に積極的朝風呂人間になっていた。

わたしは少し前に別の朝風呂派の友人と旅行した際、眠気に抗わない旅行はこんなに素晴らしいのかと感動し、またいつか朝風呂派と旅行したいと思っていた。
ただでさえ最高なタイ旅行を朝風呂派と過ごせることはとても嬉しく、朝風呂派になってくれて本当にありがとうと握手したい気持ちだったがそのときにはすでにわたしも友人もベッドイン状態で動けなかったため、握手はせず代わりに布団を抱きしめた。


 全く表題には関係ないかつ夜風呂派には引かれてしまう損しかない余談を挟んでしまったが、「風呂に入れ」と言われるといつの間にか寝落ちしてしまうのに「風呂に入らず今すぐ寝ても良いよ」という状況になるとかえって目が覚めていきいきとしてしまうのは不思議なものだ。

3泊4日中毎日明け方3時4時まで他愛もない話をして昼前に起きて朝風呂に入って出かける、という最高の4日間だった。

 旅行中のある晩、なぜかタイの明け方に放送されていたNHKの「いないいないばあっ!」を流しながら直近変わってしまった番組キャラクターについてあーだこーだ話していたとき、自分のパンツのポッケに手を突っ込むと洗濯カスのようなホコリの塊が溜まっていることに気が付いた。

うわ、と思いホコリを取り出しゴミ箱に捨てようとしたが瞬時に、「このホコリを異国に捨てていくことに抵抗はないのか?」と自問自答した。

一瞬迷ったが、「どの服から出たとも分からない洗濯カスのようなホコリであれば、異国に捨てるというネガティブよりもむしろ最期に異国を見させてあげるというポジティブが勝つ」という結論に至った。

明け方3時4時ともなるとどうでもいいこと含め思考すべてを口に出す時間帯になってくるので、わたしは友人に「ねえ、自分の服から出た糸くずって旅行先に抵抗なく捨てていける? わたしは帰る術もなく異国に取り残される糸くずを思うと絶対に捨てられない。でも、今パンツの中に見つけたホコリはほぼ洗濯カスで思い入れも少ないから、異国に残す切なさよりも最期にタイを見せてあげたい気持ちの方が勝って今ゴミ箱に捨てている!」とポッケからひたすらホコリを探りながら友人に訴えた。


 友人とは中学2年のときに同じクラスで出会い、真っ暗闇だった中高一貫校生活で今でも交流を続けている唯一の友人である。
人生の半分近くを友人として過ごしてきた中で、これまでトータルしたらきっと何百時間かそれ以上もしょうもない話をしてきたが、それでもわたしの糸くずへの想いを話したことはなかった。

 わたしの訴えを聞いた友人は爆笑し、笑いが落ち着くと「分かる」と言った。

友人は続けて、「今日の日中、自分の服から糸くずが出ていることに気づいたけどそのまま捨てていく気持ちにはなれなくてそっとしまったんだよね。めちゃくちゃ分かる。」と言った。

友人、いやMちゃん。これからもずっと友達でいようね。


(写真はタイのマクドナルドで食べた、練乳につけて食べる揚げパン。おいしいのはもちろん、手のひらサイズの揚げパンがひとつずつスリーブに入っている様がとても赤ちゃんでお気に入り。)

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