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映画『燃えよ剣』の沖田総司で沖田オタクはすっかり気が狂っちまったって話

とある沖田総司のオタクは、映画館で発狂しそうになっていた。沖田が現れるたびにスクリーンに向かって、「一時停止!!」と叫びたかった。Twitterを今すぐ開いて、「やばい沖田やばいタスケテクレめっちゃ沖田なんやけど」と実況したかった、ツイ廃なので。

私は、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』を高校生の頃読み、見事に沖田総司のオタクに転げ落ちた人間である。小説のなかに書かれた、儚く、美しく、強く、賢く、邪気なく、無色透明の水のように純粋で、誰からも愛され敵を作らず、それでいて近藤、土方のためならどこまででも非情になれる明るい哀しさを纏った、そんな沖田総司が大好きで、大好きで、夜に月を眺めては、「沖田さんも月を眺めながら夜道を歩いたこともあっただろう。その時眺めた月と、私の眺めている月は同じなんだな…」と思ったものだった。この手のアホな自分語りが永遠にできてしまうくらいには今でも沖田総司のオタクだし、きっと私と同じように司馬遼太郎のせいで沖田にハマってしまったオタクが、世界中に何十万人といるに違いない。

そんなわけで『燃えよ剣』の実写化となると当然、斜に構えたくもなってしまった。私の心の中で美化されまくって特別な存在になっている沖田総司をスクリーン上に実在させることなど不可能に決まっている、期待するだけ無駄だと自分に言い聞かせながら公開までの長い月日を過ごした。などと言いつつ公開2日目に映画館に駆け付けずにはいられなかったくらいには、ずっと、待ち焦がれていたのだ、沖田総司に出会えることを。だから今日は、沖田オタクとしての絶叫をここにめいっぱい書いていくね。最近まじめな感想文ばなりnoteに投稿してたけど、沖田オタクの血が騒いで……狂っちゃって…まともな文章なんか書けやしないからさ……
司馬遼太郎の描く沖田総司は特別だ。彼が作品のなかで創り上げた沖田像は数多の読者の心を掴み、沖田総司が美形として描かれるようになる礎を築き、令和の時代まで続く沖田の人気を創り上げたといっても過言ではない。今の世に溢れかえっている無数の新撰組モノに描かれる沖田総司は多かれ少なかれ、『燃えよ剣』の影響を受けている。司馬の描く沖田があまりにも魅力的だから、その焼き直しにならないよう、司馬の沖田を超えられるよう、多くの作家が苦心をしたことだろう。『燃えよ剣』の沖田総司とは、いわば「沖田総司界のレジェンド沖田総司」みたいなものなのである。そんな人物を演じることになった山田涼介さんはさぞプレッシャーを感じたろうが、沖田オタクも相当、「どんな沖田総司を見せてもらえるのだろう」と胃をキリキリさせながら固唾をのんで、上映が始まるのを待っていたというわけです。

◆清新な風のような声に感動する

冒頭、土方の回想という形で彼らの青春時代の喧嘩シーンから始まる。
草むらに隠れる近藤、土方の後ろからひょっこり顔を覗かせる沖田総司。そのポジショニングにもまず"沖田み"を感じるわけだが、驚いたのはその「声」だった。

えっ、、めっちゃ沖田総司やん、、
私の頭の中の沖田さんもこんな声で喋ってるんですけど????

あどけない、大人になりきらない少年のようにやや高めの、爽やかに吹き抜ける5月の風のような、綺麗な声。
明るくて、でもどこか切なくて。

そんな理想の沖田の声を、まるきり再現したような声の演技にびっくりしてしまった。デジャヴ、の聴覚版みたいな。聞いたことあるよこの声、って思っちゃったよ、初めて観たのに。
私はジャニーズにまったく詳しくなく、山田涼介さんの普段の様子やほかの出演作を知らないんですが、もともとああいう声の方なんですか?だとすればあの声だけでも沖田総司にキャスティングされる理由がわかるし、そうではなくて今回の作品のための演技だとしたら、山田涼介さんは沖田総司を心の中に飼っているんじゃないですか???

沖田総司という人物は、いついかなる時も、無邪気な明るさを絶やさない。相手が鬼の副長だろうが、自分を可愛がってくれる芹沢を斬れと命じられようが、病に臥せって自分で立ち上がることすらままならなくなろうが。どんなときも軽やかに、自分の命の重みなんてまるでたんぽぽの綿毛みたいなものであるかのように振る舞う。人の命も他人の命も、薄い刀の刃の上に載せられた、儚いもの。彼の剣はただ、近藤や土方と共にあるためだけに振われる。だからこそ、どんなに人を斬っても彼の心は薄汚れることがない。その不思議な無邪気さが近藤や芹沢、土方に愛される理由なのだろうが、そうした人物像を声のニュアンスでしっかり表現してくださっていたように思う。どのシーンでも、沖田総司ならそうしゃべるよね、とオタクの私は唸らずにはいられなかった。おかげさまで、今このように「燃えよ剣の沖田ヤバかった最高」という感想を書けているわけである。良かったね、24時間前の自分。ありがとう、山田涼介さん。

◆『燃えよ剣』における沖田総司の役割と土方との関係性

『燃えよ剣』は土方歳三を主人公とした歴史小説であり、政治屋でなく喧嘩屋として戦う姿を通して、美学に生きる男の魅力を描き切った作品である。ニヒルな土方は決して多くを語らない。冷徹な鬼の副長として鉄の組織を創り上げて行く。しかしそんな彼にも、俳句を捻るような芸術を愛する側面や(下手かもしれないけど)、女に恋する側面もある。その土方の繊細な心情や可愛げを読者側(視聴者側)に伝えるのが、沖田総司の役割である。彼持ち前の、偏執的な思想に染まらない無垢な明るさを土方は愛しており、沖田の前だけでは普段の眉間に皺の寄った、鬼の表情はどこへやらだ。俳句を揶揄われて沖田を追いかけ回したり、近藤さんへの愚痴を零したり、いけすかない伊藤のもとに挨拶するのは嫌だと駄々をこねるなど人間らしい姿を見せてくれる。
つまり、『燃えよ剣』の土方を語る上では沖田総司というキャラクターが欠かせず、土方のいるところに沖田あり、みたいになるのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど。


なんか…こちらの期待以上に………関係性が濃厚で……濃厚って言葉が適切かはわからんが……土方と沖田の関係性が大好きな人間全員の息の根を全部止めるみたいな徹底ぶりじゃなかったですか。

約2時間半という尺のなかで、原作のエピソードをあまり再現することなくジェットコースターみたいな速度で「新撰組の歴史ダイジェスト」が進んでいくのに、土方と沖田の映画オリジナルシーンの丁寧さと冴え渡り方が異常。
好きな場面はたくさんあるけど特に腰抜かしたのは、病が進行して寝ている沖田の元にやってくる土方のシーン。隊内の派閥争いが激化し、隊が二分しようとしているときに、唯一しがらみに囚われずに自分の味方でいてくれる沖田の元で、土方は羽根を休めているわけ。そしてわざわざ江戸から持ってきた土方家伝来の虚労散を手ずから沖田に飲ませ、布団に横たわらせる。そしてお互いに、「生まれ変わったらお前みたいに素直になりたい」「私は土方さんみたいにアクが強く生まれてきたい」と言葉を交わす。で、ごろりと土方も沖田の隣で横になる。その物理的にも心理的にも親しい距離感を感じる構図とやり取りに、たまげてしまった。

いや、そんなシーン原作に1ミリもないんだけど最高だね????お互いが真逆の存在で、だからこそ相手の良いところを素直に受け止められて尊敬できるし、一緒にいることが心地いい的な???
帰りに立ち寄った本屋で「anan」を見かけ、表紙の岡田准一さんと山田涼介さんのツーショに思わずドキッとさせられるくらいには、いろいろヤバいものがあった。

その上さらに素晴らしかったのは、菊一文字を目の前で抜いてくださいと土方に頼む沖田のシーン。
沖田総司の沖田らしさが凝縮された至高の場面。司馬遼太郎『新撰組血風録』に収録された名作短編「菊一文字則宗」の感動を思い起こさせる。

菊一文字則宗とは鎌倉時代に造られた著名な古刀であり、本来ならば幕末の一介の浪人ごときが手にできるものではない。しかし司馬遼太郎はそれを知っていながら、千年以上の時を生きながらえる優美な刀と、沖田の儚い命とを対比させるフィクションを創り上げた。
映画『燃えよ剣』においては、剣に生きてきた沖田にもはやそれが叶わなくなってしまった哀しみを、菊一文字で表現する。土方に刀を抜かせ、その美しい刃に己の病み衰えた顔を映す。そして刀ほど美しいものはないと沖田は語る。ひとを斬る、ただそのためだけに磨かれ、研がれた刀という芸術品。それはある意味で、政治や思想などに染まらず、ただ近藤や土方のためだけに天才的な剣を振るう沖田の生き方とどこか似ていて。それなのに、菊一文字で斬ったのは新撰組旗揚げ前から寝食を共にしてきた山南だけだったという深い深い哀切が、胸に突き刺さる。山田涼介さんは声の演技が抜群に"沖田総司"なのだが、眼差しの透き通り方もまた素晴らしい。特に死の直前に見せた表情は、ちょっと忘れられないものがあった。死という暗闇を前にしても、その闇に飲まれず最後まで眼差しだけは美しく、悟りきった光りを湛えていた。

◆最高だった沖田シーン覚書
ここからは取り留めなく、お気に入りのシーンを挙げていこうと思う。

・沖田と土方の女性談義
沖田の純情な恋愛観がわかるとともに、土方との気安い男兄弟のようなやり取りが楽しいシーン。ところで映画の沖田は医者の娘に儚い恋をしている小説と違って、ひとりの女性とちゃんとお付き合いしてる感じだった?池田屋から帰還してきたときの、彼を想う女性に寄り添われてる沖田のしっとりした感じに、胸がザワザワした。だ、誰よその女〜!

・芹沢からめちゃくちゃ愛される沖田
好きなんですよね、芹沢という色んな意味でヤバイ男からなぜか気に入られて懐に飛び込んじゃうのに決して取り込まれはしないという、絶妙な距離感を保つ沖田総司ってやつが。
肩を抱かれているときの沖田の横顔が妙に色っぽくて、小説の沖田の描写、「ちょっと色小姓にしたいほどの美貌」が頭をよぎるレベルだった。山田涼介さんの綺麗なお顔が生きましたね。
土方と芹沢の喧嘩を仲裁するのが沖田ってのも良かった。新撰組の中で一番取り扱いが難しい男達を手懐けることができるのは彼だけ。あんな可愛いお顔にニコッと微笑まれたら言うこと聞いちゃうよな、剣の腕もめちゃくちゃに立つし。咳込む沖田の背中をさする芹沢の過保護ぶりには、原作小説以上の迸る偏愛を感じて慄いちゃったよ。映画の沖田、ヤバイ男からの寵愛の受け方がハンパではない。
そしてなんといっても、芹沢を斬ることになったときの沖田には痺れた。
可哀想だなぁ、と言ったその口で、一の太刀は私に、と土方に頼む。この台詞は、『新撰組血風録』とほぼ同じ。剣の腕前に優れるがゆえに多くの人を斬っていく沖田総司という男のもつ業と、相反する無邪気さを鋭く描写する名場面。彼にとって、近藤や土方のために人を斬ることは己の使命であり、情を挟む余地などない。その割り切った在り方に、ひとたび刀を抜けば目の前に立ち塞がる命をすべて平等に奪っていく、剣に生きる者の凄みに圧倒されるのである。
沖田の殺陣については、特に疾さが印象的だった。沖田総司といえば三段突きという、簡単に言えば一瞬のうちに3回突きを繰り出す超高速の必殺技が有名である。また沖田だけは出自がもともと武士であることからも、沖田の佇まいからは土方に比べて洗練された美しさ、殺陣からは常人離れした疾さのある刀捌きを見ることができた。

・「トシだよ…」?
沖田のシーンというか土方のセリフだけど、鳥羽伏見の戦場から帰ってきた土方が、眠っている沖田のところに「トシだ… トシだよ……」って囁きながらやってくるの、動悸息切れ事案だった。
いやだって、なんで「トシ」? (ってか聞き間違えじゃないよね?!今でも私の妄想かもしれんと思っている)近藤は土方のことを多摩にいた頃からトシ、と呼んでいるが、沖田は土方のことをトシ、と呼んだことはない。それなのにトシ、と沖田の前で自分のことを呼ばずにはいられなかった土方の心情を考えてしまう。
鳥羽伏見では惨敗だった。盟友の近藤は戦場に立てず、そのうえ、試衛館以来の付き合いだった井上源三郎は死んでしまった。かつての仲間がどんどんいなくなるなかで無意識のうちに生まれた寂しさを、土方は沖田の前だけでは吐露することができる。だからつい、多摩の百姓だった頃のようにトシが来たよ、と沖田に呼びかけてしまったのだろうか。そういうオリジナルのシーンがいちいち、上手いんだよ……しかもあの囁きの甘さ、いったい何だったんだよ……びっくりしたよ……
あと、あんなに弱ってるのに相変わらず、土方さんが言うから寝てるだけなんですよって減らず口叩いて明るく振るまう沖田が、健気で、良いよね。

・お雪に負けず劣らず「華」だった沖田
土方のよき理解者である沖田は、お雪との仲さえ取り持ってあげるほど。お雪を疑ってしまったせいでなかなか会いに行けない土方に嘘をついて、会いにいかせる沖田。土方の性分を知り抜いてるから、お雪の言伝をそのまま伝えなかった彼の、掌で土方を転がしてる感じが最高。
で、土方って自分の恋愛をおおっぴらにする性格ではないというのが小説における人物像なんですが、それなのにお雪と隊服の絵を見る場面に沖田がいて笑い合ってたり、お雪の家で一緒に飯食ってかないかと誘ったりする土方、懐に沖田を入れすぎやろ問題でした。土方の両隣にお雪と沖田。これを両手に華と言わずしてなんという。
ところで映画『燃えよ剣』の沖田って、土方の理解者であるとともに、お雪の良き理解者でもあるというか、幕末という時代に関わらず、女性をひとりの人格ある人間として尊重できる優しく賢い人として描かれている。それは、「どうなる」は婦女子の言い草だと言う土方に対し、婦女子にも「どうする」はあるのだという沖田のシーンに特に表されているように思った。

・写真を撮る土方の前に、在りし日の近藤、沖田、井上の幻が現れるシーン


泣いた。


◆最後に

限られた尺のなかで、司馬遼太郎の描いた沖田総司の魅力を十分に表現してくださった製作陣、および山田涼介さんには非常に感謝しています!!!インタビューによれば、監督、山田涼介さんの沖田でスピンオフ作りたいっておっしゃったんですって???!!!
絶対お願いします!!!!
お金なら!!!いくらでも払いますから何卒!!

(2021.10.16鑑賞)

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