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伝える仕事のおもしろさ

今日は、以前に会社のウェブサイトを担当させてもらった土地家屋調士さんから新規の相談を受けた。

なんでも、相続に伴う測量の案件を受けた際に、不動産の相続のことで揉めて仲違いする兄弟や親戚がかなり多いらしく、それを見かねて「相続のことを考える前に不動産評価についての知識を得てもらうためのサイト」を検討したいという相談だった。

遺産が現金ならシンプルに分けられるけれど、不動産の場合はそうもいかない。

たとえば、二人兄弟の長男が、家族で長年暮らした土地と家を父親から相続する場合。
建物は20年もすればもう資産価値はゼロなので、実質土地だけの価額で評価することになる。

ではその土地評価額の半分を次男に渡せば公平かと言うと、そう単純な話でもない。
土地を売ろうと思ったら建物の解体費用がかかる。
かといって、解体費用まで折半するのかという問題になるし、仮に長男がその家に引き続き住むとなれば、次男にとっては長男だけが家を手に入れたような感覚にもなるだろう。

そこで意向が食い違うと、不動産を「共有」という形で名義を分け合うことになるケースが多いのだが、結局のところ、長男が住み続けるとなると実質次男は長男のために固定資産税を払うことになったり、長男が売りたいと思っても次男がOKしなければ売れなかったりと、さらなる揉め事の火種になったりする。

ほかにも、土地だけを兄弟で分けて相続するような場合に、数字上は公平に分泌されているように見えても、実は諸条件を比べると全く評価が違う、ということもあれば、そもそも昔の測量がいい加減で、謄本に記録されている数字が間違っている、ということもある。

遺言が残されていて、それをもとに遺産分割協議を、となってからそういったことに気づいてももう遅く、どうしたって揉めてしまう、というケースが後をたたないらしい。

そういう様子を見るのが辛いから、相続させる側も相続する側も、最低限の知識をつけてもらいたい。
そして、遺言を書いたりする前にまずは測量をさせてもらうとともに、直接アドバイスをしたい、ということであった。

目先の売上や手続きのことばかりで、クライアントの思いや利益を無視する業者も多いなか、本当に真摯にお客さんと向き合う人だなぁと改めて感心させられた。

と同時に、土地家屋調査士という仕事にそんな側面があることも新しい発見であった。

僕は広告を扱う仕事であり、商品や企業のことを、世間の人たちに知ってもらうためのコンテンツをあれこれと作っている。

つまり、「伝える」ことが仕事の一部であると言える。

前職も畑は違うものの、書籍の編集者ということでそのテーマについて読者にどう伝えるかを考えていたわけで、つまり6年くらいは「伝える」ということを仕事にしてきたことになる。

編集者になりたての頃から強く感じていたことだが、この仕事の最大の醍醐味のひとつが、自分に縁のなかった、いろいろな世界を覗き見ることができる、というものだ。

案件によって足を踏み入れる深さは違うものの、外に向けて発信するお手伝いをしようと思ったら、クライアントの仕事や業界のことを知らなければならない。

他の仕事をしていたらまず関わることがなかってあろう業界の人と接して、内部を見たり聞いたりできるのは、シンプルにとても楽しいものである。

そして、こうして広く見聞きすることが、そのまま広告人、あるいは人間としての経験値になる。

だからこそ、この仕事をしている以上は、より多くの種類の案件に関わらなければならない。
特定の分野のプロフェッショナルになるならいざ知らず、そうでなければ、同じクライアント、同じような業界の仕事だけをやっていては、置いていかれるばかりである。

ジャンルも、規模感も、スタイルも、できるだけバラバラの人たちと仕事をしたい。
そういう意味でも、3年くらいでもいいから東京でやっておけばよかったと思っている(人生における数少ない悔いのひとつかもしれない)けれど、それはまぁ言っても仕方がない。

今の環境でできる範囲で、できるだけ色んなところに顔を突っ込み続けていかないとな、と思いを新たにした一日だった。

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