仕事のできなさそうな人がクリエィターを目指したがる理由を考えてみた

勉強は凄くできるのに仕事がぜんぜんからっきしな人がいますよね。営業とかバリバリできるタイプの真逆みたいな人。そういう人ってクリエィターを目指す率が高いような気がするんですよ。それで、なんで仕事ができない人がクリエィターを目指しがちなのか考えて見ました。

まず、普通の人が普通にできる仕事ができないと、何か隠れた才能があるんじゃないかと勘違いしてしまう人ですね。「人は誰しもとびぬけた才能がある」といったキャッチコピーに踊らされる人ですね。でもそれがあるかどうかはわかりません。才能も掘り出さないと出てこないからです。ただ、やっぱり能力を隠し持っている人は、出方が違うみたいですね。呑み込みが早いような気がする。

あとは脳の出力の問題だと思います。勉強だと、暗記したものを静かな試験会場で決められたマスに書き込んだりするだけでよかったりします。頭と目と手ぐらいしか使いません。

それが仕事になると雑多な音の多いオフィスで、周囲の状況や言葉の接ぎ穂や声掛けのタイミングなどを複数の素因から把握して上司への声掛けをしなきゃならない。タイミングがずれると上司の不快ポイントがアップします。いるでしょう、間が悪くて反感ばかり買ってるような人。その判断を顧客相手にしなきゃならない。消耗します。

ある程度脳の容量が多めでないと雑多な情報は処理できないと思うのですね。発声するにしても、言いよどんだりどもったりしてはいけないわけです。身体器官に命令を出してすんなりと伝えなければならないのです。なるべく相手の期限を損なわないように、それでいて自分の意思をはっきりと伝える。

思うにこれらの雑多なファクターを処理しきれない人は口下手だったり仕事が下手だと思うんですよね。つまり脳の処理能力が低いのかもしれません。また種々の要因で脳の体への連携が上手くいかない人は、運動神経が鈍かったりある意味ハンディキャップが目立ちますね。

だから、出力が一定である文章とか描画に気持ちが動くと思うんですよ。仕事では上手くいかないが、絵や文章なら落ち着いてできるしバグも少ない。と感じてその道を目指すのではと思います。ですが、処理することが少ない反面、クオリティを上げていかないと相手にされません。そこは、持っている才能に左右されると思います。

仕事が学校のテストと同じく、脳の雑多な処理を要求されない内容であれば評価されると思うのです。