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祖母の孫の手

私が子供のころ、両親に連れられて母方の祖母の家に連れられました。
お盆と正月。毎年2回祖母の実家に顔を出すのが通例でした。

祖母のことは好きでした。
祖母はいつも人のいい笑顔を浮かべていたし、なにより、祖母のまとう雰囲気が好きでした。
祖母の周りではゆっくりと時間が流れているような感覚がしました。祖母の家はとても田舎にあり、祖母の住んでいる母屋が昭和に取り残されてきたような、良くも悪くも時代を感じさせるものだったからでしょうか。
そのような風情を楽しめるようになり、なにより祖母の家でゆったり過ごすことがすごく貴重な機会であることを理解できるようになったのは中学生ぐらいの頃からだったのですが。


まだ田舎の家が退屈に映っていた小学生低学年くらいの頃だったでしょうか。
私が祖母の家の居間で寝転んでいると、小さな本入れの中に古臭い家の雰囲気に馴染んでいる何か長細い棒のようなものを見つけました。子供というのは、長い棒状のものを見ると興奮する生き物です。
本棚の隙間に入っていたそれを引っ張り出してみてみるとなにやら先が曲がっています。

それが『孫の手』です。背中を搔くために使う、あの長い棒です。
この道具の使用用途を母から教えてもらった際私は最初、この道具の意味が分かりませんでした。身体のかたさとは無縁の子供にとって、腕を回して背中のかゆみを取り除くのは造作もないことだったからです。
そして何より、道具の名前が面白く感じました。なにしろ、「孫」の手です。
「私じゃん。」祖母の孫……..私はたしかに祖母にそう言ったと思います。
「おばあちゃんの背中くらい私が掻くよ。私がいるときだけだけど。」
痒いところはございませんかー?と理容師さんの真似ごとをしたのを覚えています。私の母は何のこっちゃ、と笑っていた気がします。きっと祖母も笑ってくれていたでしょう。

中学生にもなると祖母の体調も鑑みて、次第に行く回数が減るようになりました。
もう棒を振り回して遊ぶような年齢ではなくなっていましたが、たまに本棚のほうを見ると、孫の手があってうれしく思ったりしました。
そして高校生になり、受験勉強を理由に行かなかったのを機に、祖母の家に行くことはなくなりました。私が県外の大学に合格し、実家を出るようになったのも大きい理由の一つでしょう。

そして長い年月が経ち、私は社会人1年目になりました。
実家に戻って会社に通うようになり、久しぶりに祖母の家に行く機会がありました。
久しぶりに会った祖母は私の思い出の姿よりもすごく縮んで見えました。もとから背筋が曲がっていて小柄な人でしたが。
彼女はもう日課だった畑仕事はしておらず、弁当の配達サービスを利用し、デイケアサービスに通うようになっていました。
そして、私たち家族が顔を見せた際に過ごしていた居間にはこたつは片付けられ、介護用の大きいベッドが置かれていました。



その時、なんとなくですが、私は祖母になにかよからぬ予兆を感じ取ったように思いました。
自分が自分という人たらしめるものとして、様々な意見があると思います。魂とか、記憶とか、その時々の感情だとか。では、私たちが他人という個人をその人たらしめるものとして何を観測しているのでしょうか。

私はその人のまとう雰囲気だと思います。そして、そんな彼女の雰囲気を最も感じさせてくれたのが祖母の家でした。昔の家らしい木でできた床板、彼女によって形作られた家の畑、どこか祖母の香りがしてくる狭くも温かみを感じる昔の人らしさを感じさせる居間……。

久しぶりに見た祖母の家は、電灯がほとんどつけられなくなり、畑にいじられた形跡がなかったりどこか寂しさをつきまっていました。何より私が大好きだった居間のこたつをはじめ、物がほとんど片付けられ無機質な介護ベッドが鎮座されているのを見ると、この人はもうすぐいなくなってしまうんだなと、そうやんわり思ってしまいました。

先月、祖母が亡くなったという知らせが入りました。
会社を休み、人生で初めての親戚の葬式に出席しました。
お別れを済ませ、母の実家近くの葬式屋から帰ろうとした際、ふと祖母の家のことを思い出しました。

祖母の部屋は後に倉庫になるとのことです。彼女が形作られていた部屋の空間、そしてそこで過ごしていた時間はもうどこにもなくなってしまうのだと思うと、私の中で何か焦ったような感情が芽生えました。

何か、祖母の家のものをもらえないだろうか。何かあの空間を思い出せるものが手元にほしい。
あの家から思い出か、何かあの部屋を形作っているものの一部を切り取り、形として手元に置いておけるものはないだろうかと思いました。

ふと、孫の手の存在を思い出しました。
祖母の家には何度か行ったのですが、もう何年も見ていないはずの、小さい子供のころに振り回したあの細長い竹の棒が真っ先に思い浮かんだのかは不思議です。
他に思い出の品といっても、昼寝によく使っていたこたつくらいしか思いつきませんでした。

後日、孫の手を母にもってきてもらいました。
久しぶりに見た孫の手は私の記憶の時よりも小さく、そして少し汚く見えました。私が生まれる何年も前に作られ、使われてきたものだから当然でしょう。
ですが、細かな傷や手に持った時の感覚が、間違いなくあの時の孫の手であるという実感を私にもたらしました。
祖母が使っていた孫の手は数年の時を経て、道具の由来通り私の手の中に納まったのです。

私は洗剤で軽く表面の黒ずみを取り除いた後、紙やすりで磨きニスを塗り直しました。大分マシな見た目になり、幼少期に初めてこの棒を見つけたときの姿を思い出したような気がします。周りに注意して、久しぶりに童心がてら振り回してみました。


少しだけ、あの頃に戻れた気がしました。


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