ポルノグラフィティについてのあれこれ
備忘録的な何か。
これはとても長く、そしてとても大きな独り言です。誰に聞かせたいとか考えてもいないし、独り言なので常に横道に入ります。なので自然と話は長くなります。
最初に誓えることは私はポルノグラフィティに関することについては基本的に嘘はつきません。大袈裟に話すことはあるかもしれません。でも嘘はありません。ただし隠し事はします。言えないこともありますからね、誰にだって。友達からポルノグラフィティは私のなかで聖域だ、みたいなことを言われてそんな大袈裟なと少し思いましたけれど。
1999年にアポロを何かの音楽番組で見たのは覚えてます。すごい歌い方をする人達がいるなと思ったような気がします。その当時の私はひたすらに文章を書いていたので、部屋にいるときのBGMと言えばインストかクラシックか洋楽でした。日本語の歌は文章を書くときにはひたすらに邪魔でしかなかった。それでも時々は聞いていたので嫌いではなかったんだろうね。でもライブに行くとかはまったく考えてなかった。
その後一気に2007年に話は飛びます。すごく好きだった人に突然絶縁された。その人はポルノグラフィティが好きな人だった。ポルノグラフィティを聞くたびにその人を思い出したりしたら嫌なので、両方縁を切るつもりでいた。でもそういえば評価が高いポルノグラフィティのライブを見てないままだったのを思い出したのです。そして行ってみた。その後今に至るまでずっとらばっぱーでいるということで、ライブの感想は予想できると思います。その時の彼らへの感想は「何か変な人達」でしたけど。MCで「アンケートでぼんじりに似てる」と書かれたことを昭仁さんは困惑していて。晴一さんは砂場と書かれたらしい。
テレビの中の彼らはいつも緊張していたのかしかめ面をしているように見えた。だから気難しいひとたちと長年思い込んでいた。でもライブ会場では満面の笑顔でとても楽しそうで。また見たいと思った。
長年待ち焦がれることになる「ウェンディの薄い文字」にも出会ってしまった。2019年に東京ドームで聞けるぞと当時の私に教えてあげたとしたら、そこまで待たないといけないのか!と怒られそうだわん…。新しいアレンジで聞けるから許してよう…。
そこからはしばらくのほほんと普通に普通の呑気ならばっぱーでした。CDを全部買い集めたり。グッズ買ったり。遠征の味を覚えたり。
まぁ今も基本的にのほほんとまったりとしたらばっぱーで。行ける範囲内では遠征で足をのばすけど無理はしない。グッズも無理のない範囲で買う。
だらだらぐだぐだとライブについての思い出を。特に思い出深い印象的なところだけ。
2008年に行った横浜ロマポル、てんいやーずぎふと。あの有名な豪雨の日に行きました。始まる前から空は怪しげな様相を示していたけれど…あそこまでの豪雨になるなんて誰が思うものか。雷鳴は鳴り響き最早特殊効果。滝のように降り続ける雨に打たれてめっちゃ痛い。視界が悪い。そのうちやむんじゃないかと言われ続け終わったとたんに止んだんだよ…晴一さんのギターが逝ってしまったのが本当に今も胸が痛い。しばらく行った者同士で謎の連帯感を持ち続けた伝説のライブだと思う。雷怖かったけどちゃんとライブの記憶はあるなぁ。
2009年東京ロマンスポルノ。どら焼き買えんかった…35歳だから35曲やりまーすって昭仁さんが言ったら、また同じようなことやらんといけんくなるから下手なこというなって晴一さんがツッコミいれたっけ???とりあえず35曲は見る方も結構大変でした。途中太鼓とかいろいろ演出挟んで四時間越えたよね、みたいな。
2011年震災の年。つま恋に行ける体力とか気力はなかった。でも震災の年だからと特別編ポルノ港がZepp仙台で開催。被災者優先というか宮城福島岩手あたりを優先でしたっけ。ライブ当日に台風も来た…新幹線は動いているのに在来線は止まってた。無理して仙台まで動くか迷ってるうちに延期のお知らせが来た。…確か翌月の私が東京に行く前日に振替決定。東京旅行と被ってたら旅行蹴ってました、おそらく←
皆で泣きながら∠receiverを歌った。ライブハウスで隣にいる知らない人と手を繋いで。みんならばっぱーだから仲間みたいなものとは言えども手を繋ぐなんてしないでしょう。UNFADEDの時の∠receiverについてはまた複雑な感情があるんですけどもね。
震災でまだまだ落ち込んでいたときに東北にライブに来てくれたこと、皆でまた楽しんでもいいんだって思い出させてくれたこと。とてもとても嬉しかった。
昼の部と夜の部とどちらも晴一さんが3曲目くらいで舞台袖の方にジャケット投げ捨ててましたよね。暑いなら最初から着なければよいのではと思う情緒のない私。
ダイキャス仙台2日間、両日ほとんど同じような席が当たる。2日間共に二階席で多分2つくらいしか動かなかった。仙台サンプラザはほぼ立ち見も出るから席があるだけいいかぁ、みたいなー。
LEMFさいたま公演。久しぶりに開催されたプレライブの落選の悔しさから一般でチケットを買って衝動のままに遠征。注釈付で真横からステージを見る。花道から3列目くらいと端だけどステージからはめっちゃ近い。時々目の前を通りすぎていくし注釈付も悪くないなと思った。
高所恐怖症の晴一さんがキューブ教官のオブジェからめっちゃ慎重に降りているところも見られた…あれ、多分絶対揺れるよな。怖いよな、と高所恐怖症の私も見てて怖かった…安定してるところなら怖くないんよ。揺れたり安定してなかったり落ちたりするかもって思うところが怖いのよー。
butterfly effect仙台公演2日目。∠の時に入ったときのひとつ後ろの席という偶然。∠の時は真っ正面にNAOTOさんがいたんだよなーって思いながら開演待ってたなぁ…
アンコールのメンバー紹介の時のこと。晴一さんが多分カッコよくギターを振り回そうとしてマイクスタンドにぶつける。それを昭仁さんが見咎めて急にお説教モードに。真面目な低い声で「そういうのはやったらいけんやつ」みたいなことを話し始め、晴一さんは両手を下に下げてうなだれて聞いてたと思う。
アンコールで急にボーカルがお説教モードに入ってる状態がツボに入ってしまい、しんと静まり返った会場の中で思わずふきだしたのは私。…仙台サンプラザであんなにはっきりと自分の笑い声を聞くとは思わなかったわ。昭仁さんと晴一さんがハッとしたかのようにこちらに視線を向けてきたときには、とっさに目を背けることしかできず。その後は何事もなかったかのように話も切り替わって。普通に進行していきました。
しまなみロマンスポルノ2日目。例のあの日。福山から尾道に移動してる時点でエリアメールが入る。電車も規定雨量がなんたらかんたらで徐行運転してた。地元で避難勧告から避難指示にかわった経験もあったので最悪の予想をしながら会場に向かう。開場前にはなんらかの判断を下すだろうと会場でのんびりと過ごしてました。イライラしてもどうにもならないのでねぇ。予想通り開場時間近くになって中止のアナウンス。おふたりが中止のアナウンスをされてたときのあのような声はできればこれからは聞きたくない。悲しいアナウンスをしなければならない事態にならないことを願います。
晴一さんがカフェイン11であんなにウキウキとした声で楽しそうに話してたのに、どんな気持ちでいるんだろうかとそれが何よりも気がかりで仕方なくて。
メンタル面のダメージと体調不良が重なって尾道駅前のホテルに早々とチェックイン。しばらくふて寝する。夜に起きてネットニュース見てしばらく泣いた。その日のうちに昭仁さんと晴一さんの泣きそうな写真が流れて来ててただひたすらに泣いた。
翌日因島に遊びに行って。地元に帰ってきてカフェイン11聞いて。どうしても伝えたい言葉ができて初めてラジオにメールを送った。あの会場にいたからこそ伝えられる言葉があるのではないかと。その言葉をおくることができるのならあの会場に行った意味はあったなーと思えたし。そして読んでもらえた。嬉しかった。せっかく遠くから来てくれたのにね、って言ってくださって本当に本当に嬉しかった。そんなことないですよとそのときは思ったけど、近々改めて因島に行きますけどやっぱりそこそこ遠いよね。
で、このラジオでメールを読んでくださってありがとうというお礼はUNFADED宮城公演にて晴一さんにお手紙で届けたのでした。某氏へ、実は3月より以前にも手紙を書いていたんですけど…出したことないって言ったのは恥ずかしさからです。昭仁さんには出したことなかったし。嘘をついたわけではありません。言ってなかったことがあるだけです。宮城公演に関してはとあることにより結構記憶とんでる…けど確か晴一さんがシングルを8インチって言ったり。仙台でいつもの会場と言えば「サ」とだけ言って、サンプラザねと昭仁さんに言われて「おーとるやろー」って言ってたのは覚えてる。サンプラザみたら笑うようになってしまったでしょうが。
UNFADED横浜公演では10年ぶりの東京ドーム公演のお知らせを生で聞く。めっちゃ感動した。オーラスでやると思ってた発表がまさか自分が立ち会うことができるなんて思ってなくて。珍しく瞬間的に声をあげた。2日目はWOWOW収録日。WOWOW収録の日にやったら宣伝になるんじゃと思ったけどアンコール全部カットでしたっけ。
東京ドームも2日間行った。楽しかった。ウェンディの薄い文字で泣きそうになる。イントロでパニックおこしかけた(笑)
UNFADED宮城公演以降僕はとあることに巻き込まれていた。話してもいいのかもしれない。でも話していいのかどうか考えたときに、そもそも信じてもらえるのかどうかすらわからないなと思えて。しばらくはいろいろ知りたくて気持ちの中でもがいたりもしましたけど。いつかちゃんと話せたらいいんでしょうけど…そもそも僕が全貌を知ることができるときって来るんですかね。多分それは無理かなぁとは思いますけど。
いろいろありましたけど私がのほほんとしたらばっぱーで。慎ましやかにひっそりとたたずむだけのファンでいたいと思うので。これからも基本的には沼の底で寝ていようと思います。
去年寝てた子を起こしたのは晴一さんですから文句は言いません。それ以外の人に起こされたら…まぁ怒りますけど。昭仁さんならもちろんよし。