とりとめwerer

とりとめのない話Ⅱ

 18時10分。クロワッサンの群れのような雲の階層を抜け、銀色の機体は虹色の宙に浮かんでいる。これが人々の憧れる「空の外の世界」か。と言えども、僕はまだ空を見上げることができます。そこに黒色の蓋がある。大きい中華鍋みたいなこの世界に、黒く涯のない蓋が被せられている。蓋は回転しながら徐々にスライドし、いよいよ暗闇を引き連れてき、虹色を侵食し始めている。

 ああ、完全に閉じてしまう……。銀色に輝く無機質な鱗を光らせながら、魚は巨体を滑らせます。外へ……外へ……と泳ぐのです。蓋の隙から漏れ入る光のスペクトル。それは虹色にして、また異端の色ではあるので、僕はその幅の縮んでゆくのを見て、茫洋とした不安を感じるのでした。

 光の対極に闇を定義するゲーテ。あなたは生の対極を死だと考えますか。天界に神を、地上に悪魔を描きますか。僕等はいつも「くもり」の中に、両極の融け合う干渉部にあり、どうやらその外の世界については、何ひとつ知れないらしいのです。

 頭が痛かった。台風の影響で航路は安定しない。今、この水平はどの程度の高さなのか。そこにおいての気圧は、地上といかほどに変わっているのか。全く知れない僕ですが、ともかく血入り袋のこの身体には、内から破裂してしまいそうな力に、とても耐えられない変化があるのでした。あらかじめ服用していた鎮痛剤が神経を鈍らせます。次に目を開いた秒刻には、空は、蓋が真紅の隙を見せてあるのみなのでしょう。

 19時5分。電燈は鎮められ、機体は下降を始めたようでした。着陸すべき福岡市内。見たい街明かりも厚い雲に遮られ、少しも見て取ることはできない。左前方に読書灯が点るが、その真下の乗客は寝息を立てている。

 闇です。僕は努めて闇を凝視しました。飛び出しそうな眼玉をなんとか堪えながら、闇の奥を見つめている。ジェットエンジンを照らす橙の光。白く濁った雲の海に、不気味な貌を照らし出しています。充血しているのか、視界に紫の縞が這入り込み、顕微鏡で見た海洋プランクトンのような、赤くチカチカするものが夥しく這っています。するとその無数のプランクトンは、みるみるうちにジェットエンジンの大きな口に吸い込まれてしまいます。

 あれはジンベエザメ……?いいえ、ここは海底二万海里。あれは息を潜めるメガマウスと見えます。プランクトンと見えていたのは、実は僕等の小さな霊魂なのかもしれない。白内障患者のような眼玉が蠕き、僕等の生命を平らげている。僕はそのとき、身体の記憶した映像が勝手に再生されているような感じがしていました。

 19時15分。死の淵の地底を静かに破り、ようやく姿を現した街々の華やかな明かりは、熔け出したラヴァのように輝くのです。そこにはとても高価なルビーやサファイアだって溶け込んでいるに違いありません。それほどにこれは、美しい景色でした。

 はたして僕は、生命の光を取り戻したのでしょう。「美」とは超越概念だと人は言います。確かにそうかもしれません。けれども、決して僕等は神を仰ぐように美を取り扱ってはいない。それは「大いなる犠牲」とも言われます。僕等は皆、「透明な器」のようなものです。僕等の問題とするところは、その容れ物に這入るものがどのような色彩であるか、どのような形態を取るのか、ということばかりでしょう。腹に据えられた宿命に対し、抗うにしろ甘受するにしろ、小さく賢い僕等は自分自身を「犠牲者」として世界の内に位置付ける。僕等は嘆くのです。

「ああ、汚されてしまった!」

 ところが今日、僕は見たのでした。透明な器の入り口を。僕等はこの容れ物の内にて、僕等の生命が固有にしてあるところの色彩を発散させています。やがて器は黒く濁ってしまう。すると再びあの蓋が開かれる。圧力の差に任せて中身が飛び出すのです。それは熔岩のようには美しく。ギラギラとして輝いているに違いない。それを生命の力と呼ばないで、何と呼べばよいのでしょうか。生命の燃えるとき、それは烈火の如く燃えるのみであります。生命の眠るとき、それは氷河の如く蒼ざめるのです。死とは色彩の欠如であり、それは灰色にして、また白く濁ってはいる。またそれは僕等の底に静かに潜む、排水溝が如く深い闇の別名なのです。

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