とりとめ

とりとめのない話Ⅲ

 19時30分。逃げるように降機した僕は、薬院大通のホテル群に向かうべく、地下鉄空港線の改札を通っていました。55分発の電車を待つ間、フライトの無事を彼女に連絡をしようと携帯を取り出します。すると僕は、電源を切ったスマートフォン画面の黒さに驚嘆するのでした。真夜中の空でもここまで黒くはありません。色彩の欠如としての黒と、色彩の飽和による黒。いったいどちらの黒がより黒いのでしょう。黒色と闇は別のものなのかもしれない。きっと黒は異世界へと繋がる色なのです。とするとそこに、数匹の赤い金魚が映る。いつか水族館で見たアートアクアリウムの金魚です。真っ赤なドレスを水中に漂わせて泳いでいる様はなんとも優美なもので、僕は幼い頃から、金魚という生き物に不思議な魅力を感じていました。時には畏怖の対象として見ている自分もいます。脳味噌のような形をして膨らみ、今にも破千切れてしまいそうなあの腹を見ていると、僕は気分が悪くなるのでした。おそらく僕は金魚を見て、自らの死を連想しているのだと思います。眼前をチラチラと游ぎ交う縮こまった赤い玉。飼っていた安価な金魚が死んだ時分には、母に水槽から掬って土に埋めるよう言いつけられたものです。しかし僕はその骸を手にした瞬間に、ある不可解な衝動に駆られ、静かにそいつを握り潰したのでした。赤い玉が破裂して臭い贓物が這い出てくる。その感触は今でもこの掌に鈍く残り、潰した後に訪れた黒い罪悪感と、母に秘匿の遊戯によるえもいわれぬ恍惚感は、脳味噌に消えない印象を刻み込んだことだろうと思います。僕は女と寝る時、不思議と金魚の印象を想起するのです。映像か、感触か、匂いか、どれだかわからないけれど、金魚の印象と接続されている官能がそこにはある。或いはまた、その遊戯の最中に心中へ訪れる様々の情感、また思想なりが、金魚の印象と何か関係があるからなのかもしれません。

 女と寝るとき、僕は幸福でした。快感のため、官能の満足のために僕は幸福でした。そして、それらの要因よりも遥かに広大な幸福の種は、僕自身がここにあるという実感でありました。僕という存在はあるのです。疑る余地もない程に、僕という存在はありました。しかし、僕という存在を証明するものがないのでした。僕は苦しみます。苦しみが僕の存在を証明してくれますでしょうか。わかりません。苦しみのために、肌が痒いような気がしてきます。苦しみを消し去ろうとして、僕は爪を立てて僕を引っ掻きます。すると苦しみは痛みに変わります。血が流れます。痛みは苦しみよりも、僕の存在を現実のうちに浮き彫りにします。血は僕の身体が生成したものです。血の軌跡は僕の身体を這うものです。さて、このことで僕があるということは明かされるのでしょうか。僕は僕の形というものを認識しています。それは僕の身体の質量を知らしめてはくれますが、僕はまだ判然としません。僕という存在は、僕の身体があるということだけでは成り立っていないような気がするからです。そう、痛みは証明されても苦しみがわかりません。苦しみはどこにあるのか。悲しみはどこにあるのか。僕がどうしようもなく寂しく思ってしまう瞬間に、僕の輪郭は熔け出しているのです。僕の形は崩壊しているのです。それでも、僕の寂しさはそこにあります。心は脳味噌とは違うものです。僕の身体が、飲酒や性的絶頂による弛緩状態に陶酔するとき、心は普段にも増して緊張してしまいます。より一層寂しくなり、尋常ではない感傷的な気分に毒されてしまうのです。脳味噌には皺が刻まれていますが、心に傷は残りません。それは形のないものであるからして、誰であろうと、例え自分自身によってしても、形のないものには"触れることさえできない"のです。それゆえ、人間の存在は皆平等に、それが置かれている環境とは無関係に、生涯を通して孤独なのです。僕等は比喩的に、心が、「疼く」だとか、「傷む」だとか言うことができますが、それが形無いものである限り、そこに及ぶ外的損傷は有る筈がないのです。心はただ悩み苦しむだけです。孤独とは人の影なのです。忘れてしまっても人間の背後に付き纏うものなのです。そこで僕等は恋をします。互いに存在を認識し合うことで、存在の不安を恋の熱情のなかに隠してしまうのです。確かに、そこには熱があります。恋人と肌を合わせることで、僕等は自身の肌を感じます。恋人と話すことで、僕等は自身の言葉を感じているのです。それが僕等の作り出した幻想に過ぎないことは明確でしょうが、問題は別のところにあるのです。つまり、僕はあなたなしではもはや存在できないということ。あなたを失ったとしても、僕の身体は有り続けるかもしれない。しかし、そうなれば僕の身体は抜け殻のようになってしまうのです。透明な器から中身が失われた時、それは存在しない器と見分けがつかないのです。人間は虚しい。人生も虚しい。それでも僕は、もう嘆いたりしないのです。それは、僕を満たしてくれる存在が自明のものとしてあるからなのです。この世界に僕は存在するのです。あなたのおかげで。

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