見出し画像

疲れやすい日々

某年8月22日。

 ……伸びている。
 母と朝からはりきって散歩してきた。歩数的には7000歩程度なのに汗をたくさんかいたし、なんだかくたびれた。日を浴びたり、車が多く通る道を歩いたりすると余計にストレスのかかる感触がある。
 そうして帰宅してシャワーを浴びると、母が手際良くざるそばをつくっていた。薬味もたくさんある。ただ、炭水化物オンリーだなあと思い、栄養のなさに不安を覚えた。実際食べると、やっぱり物足りないなあなどと感じたけれど、食べたいものが他にあるわけではなかったので、やめておいた。
 しかし、何も口にしないのはできなかったので、一時間後ぐらいにアイスココアを作って飲んだ。
 それからぐったり伸びていて暇だったので、中田敦彦のYouTubeを観ていた。母が丁度『坊っちゃん』を読んだところだったので、観てみたくなった。なるほどと思う箇所がいくつかあったけど、大したことではないし、作品そのものに触れたわけではないので割愛する。なんとなく、夏目漱石の小説の書き方が分かった気がした。書き方自体はエンデよりも掴みやすい気がする。というのはやはり自分が日本人だからなのか、よく分からない。
 地上波に戻すと、「何を着るか考える時間って無駄じゃないですか。だから私はこれだけにしました」という話が聞こえてきた。ファッションってなんだろうなと少し考える。ファッションって、私にとっては「生きることを楽しむ」というのとほとんど同じような気がしている。生きることは見方によっては面倒だ。でも工夫次第では面白くなるし、面白いという言葉では言いきれないほどの豊かさを生むものだと思う。生きることは発展的だし、ファッションは私たちの生活に息づいているものだ。気取ったり、着飾ることだけにフォーカスが当たっている気もするけど、そうではない。どこかで着られていた作業服がリアルクローズとして私たちの身近なものになっている。
 「何を着るか考えるのが無駄」というのは、完全に間違いではないとは思う。毎日献立を考える必要はないのと同様に、着るものを毎日考える必要はない。他にやりたいことがあるならそれを優先すべきだ。でも、考えることは無駄ではない。思考することや多様性とは、私たちの生活を彩る豊かなものであるし、生活そのものでもある。
 そんなことを考えたり、考えなかったりしながら空腹を感じ始めた。他に何か書きたいことがあったはずだが、母にスマホの料金云々を尋ねられて消しとんだので少し恨みながら夕食の支度を始める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?