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「エロい」と「良し悪し」は別のベクトルであり、主観でしかない

お久しぶりです。2年ぶりになりますね。
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呼び方は任せます。

ここ数年、よく女性キャラクターの表現で騒ぎになることがよく見られますね。

ここ数年は、女性キャラクターの表現でよくTwitterで騒ぎになることが多いですね。最近だと「サンデーモーニング」にも出演している、社会活動家の仁藤夢乃さんのツイートが発端で、地域活性化プロジェクト「温泉むすめ」が騒ぎになっていました。

気になっていることがいくつかあるので書いておこうと思います。あんまりまとまった文章になってないと思うので、適当に流し読みしてってください。

「性的」かどうかは主観でしかない

まずフェミニストを自称する方々など、批判者のツイートをいろいろ見ましたが、ほとんどが「性的アイキャッチは女性蔑視」「性差別」「性犯罪を誘発する」などという文言が見られますね。

ただ、私は2年前のこの記事で書いてますが、どのような表現物であっても「観るものによって印象が変わるもの」であると書いています。

性的だと見られる広告などにハレーションを起こす方々はたくさんいますが、芸術作品同様に、どのような広告であっても、それが「エロい」のか「エロくない」のかは、全て観ている人が決めたことに違いありません。

とある人が「宇崎ちゃんの献血ポスターは性的だ」と言えば、他の人は「別に性的ではないね!」など言うのは当然でしょう。

「エロい」と思うかは人によって違う

このような表現物に対して、噛みつくような人達に関しては、おそらくは「性的だから悪い」という考えであることには違いないでしょう。

しかし、それを擁護する側としては、どういう意見を持っているでしょうか?

「別にエロくはない」
「エロいけど全然問題ない」
「どういう基準で決めてるの?」
「あなたの主観ではないの?」

おそらくこういった意見が多いでしょう。

ただ、擁護している側の人は、おそらく批判者よりも多様性に富んでいて、「エロいと思っている」「エロくないと思っている」の両者はいると考えられます。

共通して言えることは、表現を擁護する側の意見としては「問題ない」と考えているのだけは変わらないでしょう。

「良し悪し」と「エロいエロくない」の軸がある

それを踏まえて考えると、この話題に関しては2つの軸が存在することがわかるでしょう。

「エロい」「エロくない」
「問題ある」「問題ない」

この2つの軸を合わせるとこういう形になります。

・ポスターはエロいけど問題はない
・ポスターはエロくないし問題ない
・ポスターはエロくて問題だ
・ポスターはエロくないけど問題だ

だいたいこの4つのカテゴリーに分けることができるでしょう。

ただ、「エロくないけど問題」という主張をする側はほとんど見られないことを考慮すると、批判する側の人間は下の図の場所になります。

そして、擁護する側がどこに入るのでしょうか?

上段が全部擁護派になりますね。「エロいけど問題ない」という意見を持つ人も、「エロくないし問題ない」と考える人も、全て擁護派として括ることができるでしょう。

批判者は「エロい」と決めつけるが…。

人によって若干の発言の違いはあれど、大体はこういう構図でしょう。

「エロいけど問題ない」+「エロくないし問題ない」
   vs
「エロくて問題あり」

ほとんどがこういう構図になっていることがわかるでしょう。

ただ、どのような芸術作品であっても、素晴らしいものかどうかは人によって異なるものであり、同時に「エロい」「エロくない」も人によって異なるものです。いくら肌の露出が多かったとしても、また胸がいくら大きくあっても、それが「エロい」かどうかすら、やはり「人による」ことには変わりません。

おそらく批判者の多くは「エロい」ことを断定的に語り、無数の人間が無数の印象を持ち合わせていることを無視するような発言を繰り返しますが、それは誰であっても同じ印象を抱く「客観芸術」でないと適用されません。

しかし、「宇崎ちゃんの献血ポスター」や「ラブライブのPRポスター」というものは、全地球上の誰もが見ても、同じ印象を抱くでしょうか?

それはありえないでしょう。

それでもなお「性犯罪を誘発する」など言うのなら、客観的なデータなり、学術的な研究などを踏まえなければなりませんね。



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