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コミケ献血への侮辱行為から見る「ハリボテ反差別」

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「オタクの血は気持ち悪い」

コミックマーケットの献血のニュースが報道されて以降、「オタクの血は気持ち悪い」など言う差別発言が見られます。

先日のnoteでも書いていますが、この件に関しては、特定属性の血液が、医学的、科学的な観点で良くないとされるエビデンスがなければ、医療従事者や患者の気持ちなど、まるで一切考えていない「一個人のお気持ち」に過ぎません。

医療従事者や輸血を受ける患者の立場が一番優先されるべきことなので、一個人の感情にいくら理由をつけても、まず「献血を腐すこと自体がすでに異常」であることは間違いありません。

それは、一個人が発言していても、多数が発言していても、異常な発言は異常です。

医療従事者より「自分の気持ち」を優先

先程も書いたように「オタクの血は気持ち悪い」「献血する場を選んで欲しい」などという言葉は、明らかな差別発言で間違いありません。

差別ではないとするならば、やはり医学的、科学的なエビデンスを要します。コミケでの献血を否定するのであれば、コミケで集めた590人分の血液を、別の場所で確保する代替案を主張する必要はあるでしょう。

医療従事者ではない一個人の感情を優先させるわけにはいきません。大切なのは、医療従事者や患者の立場を考慮することが最優先に考えるべきでしょう。

しかし、発言している人々にとっては、「オタクの血は気持ち悪い」と発言すること自体は、差別と考えていないとは考えられます。

医療従事者の立場よりも、最も優先されるべきことは、自分達の感情であるのが、この方々の基本的な考え方でしょう。

差別の判定は「属性」で決まる

科学的なエビデンスがなく、特定の出自や属性の献血を否定する考え方は、論理的に考えて「差別」であることは間違いありません。

しかし、コミケでの献血を腐している人々にとっての差別とは、「特定の出自や属性の献血を否定する」という理屈では考えていません。

「オタク」「コミケ」という言葉を、「黒人」「被差別部落」という言葉に入れ替えると、間違いなく「差別」と認識するでしょう。しかし、「オタク」「コミケ」であるならば、何を言っても構わないと考えるのが、献血を腐す人達の考え方と言えます。

つまり、差別であるかないかの判定は、理屈ではなくて「属性」で決まるのです。

「ハリボテ反差別」

Twitterでは、上のリンクのように「反差別主義」「平和主義」「フェミニスト」などを謳うアカウントが、攻撃的なツイートを繰り返す傾向にあります。

この言葉を掲げる以上は、他人に何かを指摘する以前に、自分が「反差別」「平和主義」「フェミニズム」を遵守することが重要ですが、彼らの言動を見る限り、自分達が看板を掲げることで圧力をかけていこうとする意図があるのではと感じさせられます。

「反差別を掲げておいて、日本人を差別する」
「反差別を掲げておいて、オタクを差別する」
「フェミニストを名乗って、女性の活躍の妨げになる」

こういった現象は、よくTwitterで見られますが、いかに彼らが掲げていることを軽薄に考えているのか明確でしょう。まず自分達が遵守していないと、掲げている「反差別」「平和主義」「フェミニスト」という看板も、全て見せかけにしか過ぎなくなってしまいます。

自分達がその掲げている言葉の意味をよく理解せずに、他人にばかり口出ししていると、周りからは「俺は反差別主義者だぞ!えらいんだぞ!言うこと聞け!」としか見えなくなってしまいますが、彼らはそういったことには気付こうともしないのでしょう。

差別はしてはいけませんし、平和は守らなければなりませんし、女性の人権は守らないといけません。これは当然のことで、プロフィールで名乗る必要すらないでしょう。

つまり、Twitterのプロフィールで名乗る事自体、本当に意味のないことです。

ただそれでも「反差別」「平和主義」「フェミニスト」を謳う人達は、わざわざ名乗ることによって、自分を武装しようとしているだけに過ぎません。「反差別」を掲げれば、自分が反差別主義者になれると思い込んでいるのでしょうけど、彼らはそう思い込んでいるのです。

結局は、自分で掲げたことを自分で守れない「ハリボテ反差別」「ハリボテ平和主義」「ハリボテフェミニスト」に過ぎなくなるのですね。

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