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『あらわれない世界』№4

小野さんは、おそらく猫さんが次に遭遇するであろう物体はこの類だろうと、おもむろに紙に書き出した。それを見た猫さんは失望する。小野さんだけは自分の話を真剣に聞いてくれていると思っていたのに、なんてデタラメな物体だろうか…

横から覗き見したチョビヒゲ猫が、その絵を見て大笑いする。結局小野さんも、真剣なフリして猫さんをからかっていただけなんだと、高らかに2本の尻尾を振り上げる。猫さんは恥ずかしくなって一目散に自治会館のパントリーに逃げ込むと、ちょうどお偉いさんが玄関から入ってきた。

小野さんが挨拶をすると、お偉いさんが、小野さんの描いた絵を見て「これはカーだったかな?」と聞いた。小野さんは真剣に「カーです」と答える。大笑いしていたチョビヒゲ猫は思わず真顔になる。「最近猫達はエジプトに興味があるようで」小野さんは巧妙に主題をずらした。お偉いさんは、昔エジプトに行ったことがあるようで、かつての滞在記を懐かしそうに小野さんに話した。

猫さんは、パントリーの最も狭くて窮屈な溝にぎゅうぎゅうと入り込み、1人静かに深く落ち込んでいた。話を終えたお偉いさんが、小野さんから事の顛末を聞いて、猫さんの首根っこを掴んで居間に引っ張り出す。さっきまで猫さんを嘲っていたチョビヒゲ猫は、気まずそうにしている。

お偉いさんが猫さんに"カー"について丁寧に説明すると、猫さんは、さっそく盆と正月を書き取ったノートに"カー"について猛然と書き留める。

小野さんは、やっと理解したくれたかと安心するも、今度はチョビヒゲ猫が奇妙なことを言い出した。いつぞや猫さんは自分とはぐれた頃、湖の闇に浮かぶ、なにもいない陸に立ち寄ったことがあるという。猫さんは、その陸のただならぬ雰囲気におそろしくなって、すぐさまその場所を後にしたそうだった。

自分ではすっかり忘れていた猫さんだったが、チョビヒゲ猫は、その場所に立ち寄った後から、猫さんに2本あった尻尾が1本になったことを、ずっと不思議に思っていた。そして、チョビヒゲ猫はその頃から密かに猫さんの動向を注視していたという。猫さんは驚いた表情でチョビヒゲ猫を見る。

…チョビヒゲ猫はバツが悪そうに、しかし真剣な顔で猫さんを見た。


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