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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑨

「起床・出役・工場」

 大井での生活は朝起きた瞬間から忙しい。
 普通の刑務所と違い、起床の合図はチャイム等ではなく、J,POPや洋楽が寮内のスピーカーから流れる。選曲は会長とリーダーが決め、職員さんの許可を得てタイマーをセットして流している。
 私が入寮した時は、安室奈美恵ばかり流れていた。会長か誰かがファンだったのかもしれない。
 しかし下期生にとって、そんな事はどうでも良かった。
 「あ~もう朝かぁ」と背伸びしながら起きる朝は、一日たりとも無い。

 音楽が鳴るまで起き上がってはいけない、逆に音楽で目覚めていては、遅い。音楽が鳴る前に目覚めて、布団の中で待つのである。
 六時丁度に寮内のスピーカーから安室奈美恵が鳴ると同時に、
「オハヨウゴザイマス」と全開の声で起き上がり、一日が始まる。
 まず素早く寝具を畳む、布団や毛布は綺麗にミミを揃え、シーツも皺を伸ばし、ホテルのベッドメイキングの様に綺麗にし、枕の置く位置まで決まっている。
 起きた瞬間からキビキビとした動きでそれらをこなし、作業着のツナギに着替え、洗面所に行く。
 起きてから、洗面所に行く二、三分のわずかな時間でも、各部屋の新入生や二級生の「はい、すいませんでした」と謝っている全開の声が、寮内に響き渡っている。
 六時十分には起床点検が始まる。それまでに全てを終らし、各自の部屋の前に立ち、気を付けの姿勢で点検が始まるのを待つ。
 六時十分に四階から会長が、「テンケーン」と五階に住む私達にも聞こえる様に号令を掛ける、すると一班リーダーが「番号!」と言うと同時に、
「チ・ニ・サン・シ・ゴ・ロク・ナナ・ハチ・ク…」ととんでもなく早い点検が始まる。自分の言うべき番号を間違えたり、噛んだり、少しでも間があいたりすると、すかさずリーダーが「モトイ、番号!」と怒鳴り、最初からやり直しである。
 大井では、点検時のイチのイは発音せずに、チと発音する。
 点検は、奉仕作業、クラブや会議、全ての場面で必ず取るので、並んだ時に、自分が何番目なのか、確認しておかないと、スピードについていけなかった。

 会長はまず、四階の二班リーダーから報告を受ける、
「二班総員〇名異常ありません」と、次に五階に上がり、一班、経理班の順で報告を受け、二階事務所まで駆け降り、職員さんに報告をする。
「〇〇班長さん、報告します、総員〇名異常ありません」この時、事務所にいる職員さんの序列が上の人に向かって、報告しなければいけない。
 職員さんも、場長さん以下役職等で序列がある。私は職員さんに序列という表現はどうも抵抗があったが、それを口に出した事は無かった。
 事務所での報告はいろんな場面であるので、職員さんの序列も覚えておかなければいけなかった。
 会長は職員さんに報告を終えると、二階の階段から四階、五階に向かって
「カイサーン」と号令を掛ける、私達は皆、その号令まで点検時の姿勢のままである。

 普通の刑務所の様に職員さんが点呼を取る事は、在所中一度も無かった。
刑務所において点呼は大事な事だと思うのだが、それを自治会に任せるというのは、信頼があっての事だと私は思っていた。
 信頼される、任されるというのは、誰でも嬉しい事だと思う、それは刑務所でも同じ事だと思った。しかしそういう気持ちを口にした事はなく、
ノートの隅に書き留めておくだけだった。

 会長の「カイサーン」の号令に「ハイ」と全員が揃った大声で返し、素早い動きで、階段を駆け降り、食堂に向かい朝食である。

 会長の「いただきます」の合図で全員が揃えて「いただきます」と返す。
この時は、全開の声で言ってはいけない、小さ過ぎず、大き過ぎずの音量で言う。この使い分けも場面場面で違うので、覚えるまでややこしい。もちろん間違えると、ガチられる。

 下期生は食事の時間も緊張である。醤油等の調味料を取る時も「前、失礼します」等、全て決まった口上、決まった動きがある。最初の頃はロボットの動きの様に、ギクシャクしていた。
 食べ終わると、食器を決められた順番で重ね、手を太ももの上に指先まで伸ばして置き、背筋を伸ばし、会長の「ごちそうさまでした」の合図を待つ。

 大井の食事は、前にいた刑務所や松山刑務所では、考えられない程美味しい。
麦飯は同じだが、何より暖かい、おかずのボリュームも違う、おかわりも自由、逆に下期生はおかわりをしないと怒られる、炊いたご飯を残してはいけないのである。経理班が多く炊きすぎた時などは、三杯、四杯食べなければいけない時もあった。お腹いっぱい食べられる事に、感謝しなければいけないはずなのに、慣れからくるのか、それともお腹いっぱい食べられる安心感からか、おかわりが苦痛に感じてしまう時は、そんな自分が本当に嫌だった。

 食事が終わると、食堂の掃除をする者、四階、五階に駆け上がり、トイレ、居室、洗面所の掃除をする者と瞬時に分かれ、テキパキとこなしていく。全て下期生の仕事である。
 会長、各班リーダーは何もしない。

 七時二十分頃には、安全靴に履き替え、ヘルメットを被り外に出て、
七時三十分の「集合」の号令が掛かるののを待つ。常に十分前行動である。
 待ってる間のわずか十分でも、ただ立ってるだけでは怒られる。
覚え事をブツブツ言いながら、口上や動きを練習しながら待つのである。

 集合場所は、寮の正面の前庭である。そこまで五十メートル程の距離をダッシュで行く。
 最初からそこで待てばいいのにと思うが、そういう所が『大井』なのである。

 一班リーダーが、友愛寮の外壁に掛かっている時計を見て、七時三十分
丁度に「シューーゴォーーーーーーーー」と息が切れるまでの大声で号令を掛けると、「ハァイ」と全員が揃った大声で返しダッシュする。
「ハイ」の返事も全員が見事に揃うので、少しでも早かったり、遅かったりすると、すぐに誰だか分かってしまう。
 大井では、二人以上で返事をする時や謝る時、お礼を言う時でも、見事に揃えるのである。

 先に集合場所で待っている会長を中心に、組立、内業、経理班と寮内の一班二班ではなく、工場で働く現場別に整列する。
 それぞれの組長が「組立〇名異常ありません」「内業〇名異常ありません」「経理班〇名異常ありません」と会長に向かって報告する。
それを受けて会長が場長さんに、「〇〇場長さん報告します。総員〇名異常ありません」と報告する。
 その時、場長さんから一言があったり、無かったり、例えば「今日は暑くなりそうなので、水分をこまめに取る様に」等々。何も無い時は「ヨシ」で終わる。すると会長の「解散!」の号令で、経理班は寮内に戻り、組立、内業は走って現場へ向かう。

 私は、工場での作業の方が気も休まり好きだった。何より「仕事をしている」という喜びがあった。
 工場では造船所の本工さんと一緒に働く、誰も私達を変な目では見ない。
 作業は、グラインダーで溶接後等の削り作業だが、本工さんが「ここから先にやっといて」「ここは、ちょっと丁寧に頼むね」等と普通の言葉で、
普通に指示してくれるのが嬉しかった。だから私は、腕がパンパンになろうが、現場が好きだった。

 職員さんは時々見回っていた様に思う。というのも、作業中は離れた所から、私達がいる事を確認するだけの様に思えた。作業着もヘルメットの色も本工さんと違うので、遠くからでも見分けがつく様になっている。

 作業は本工さんと同じ五時までである。昼食は寮に戻るが、途中休憩は決まっていない。
 現場には喫煙場所が何か所もある。本工さんはそこでタバコを吸いながら休憩をとっている。
 もちろん私達はタバコを吸ってはいけない。工場にはそういう危険な誘惑も多かった。
そんな誘惑に負けて、本所に戻される人も少なくなかった。
 タバコの吸い殻を寮に持ち帰り、嫌いな人のタンスに入れて、嫌いな人の足を引っ張る、とんでもない奴もいた。

 普通の刑務所では作業を終えて工場から出る時は、必ずパンツ一枚になっての検査があるが、大井ではそういう検査は一切無い。
だからタバコの吸い殻を持ち込めるのである。検査が無いのも信用されての事だと思うのだが、信用を裏切る奴もいるのである。

 本当に自分の犯した罪を後悔し、更生しようと頑張っている人が、大井には多くいた、そういう人にとって、くだらない悪だくみを考えている人や、暴力的な人が一番迷惑で、怖い存在だった。


 拙い文章を読んで頂きありがとうございました。
 この文章は、十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが、
 私以外の受刑者の事や、季節、月その他諸々を変えて書いています。



拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。