◆読書日記.《あずまきよひこ『よつばと!』15巻》
※本稿は某SNSに2021年3月2日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
あずまきよひこ先生の実に3年ぶり(!)の新刊!『よつばと!』15巻読みましたよ~♪
思わず「ぼくが勘違いしてるだけで実はこっそりコミックスの末尾に"完"マーク付けて完結させてたんじゃあるまいな?」と思って前巻コミックスを確認しちゃうほど長らく待ちました!よつばちゃんの新刊ですよ☆
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久々に読みましたが、上手いですねぇあずま先生。『あずまんが大王』の時は、こんなに上手い人だとは思わなかったんですけどね。
『よつばと!』の何が上手いかって、まず第一に登場人物の「演技」が上手い。特に、子役の演技で思わず「あ~、それそれ!」って膝を打っちゃうほどに上手いですよね。
99話の最後によつばちゃんがバナナジュースを飲むシーンを見るだけで「あ~!!そうそう!子供ってこんな感じの飲み方する!!」と感動してしまう。
あずま先生、観察眼がかなり鋭いですぞ。
もしくは、普段からこの年代の子供が好きで良く見ているからこれだけ説得力ある演技を描けるのか。
101話の最初のコマでも、えなちゃんとよつばちゃんが座っている描写だけでも「子供の座り方」の"それっぽさ"に嬉しくなってしまいます。
『よつばと!』は、ストーリー的には全く何も起こらない事がウリ(笑)と言ってもいいマンガですが、このように描写のそこここに"幸せ"が詰まっているのがすごい。
しかし、改めてよつばちゃんはこの世界を全力で楽しんでいると思う。
この作品は基本的には「よつばちゃん」という面白い感性の子供の「無邪気な遊び心」という偏光フィルターによって世界を見る作品なんだと思うんですが、それでもよつばちゃんに対する描写はあくまで客観的だというのも特徴的ですね。
作者は、何の変哲もない日常のあれこれと、「よつばちゃん」という特殊な子供の感性との化学反応を、周囲の大人と一緒になって楽しんでいるかのよう。その視線が、温かい。
よつばちゃんの周囲の大人の誰もが、よつばちゃんを特別子供扱いしないというのも、ぼくは非常に共感している所です。
子供好きな大人というのはけっこう「〇〇ちゃんは▲▲だね~えらいねぇ」とか「へぇ~、□□したのぉ!すごいすご~い」とかいう猫なで声で甘やかす言い方をする人も多いですが、この作品に出てくる大人は、よつばと対等な友達としてナチュラルに接している感じが、好きなんですよねぇ(例えばやんだもジャンボも)。
ぼくは個人的に、子供の頃には「子供を過剰に子供扱いする大人」が嫌いだったためか、未だに子供に対してどう接していいのか分かりません。「ガキ扱いされた」というのは、結構少年時代の自分の小さいプライドを傷つけたので、その印象からか、あまり子供を子供扱いするのは好きになれないのかもしれません。
だからこそ『よつばと!』で、よつばちゃんと対等に友達付き合いしている大人たちは好感が持てるし、そんな大人たちと臆する事なく遊んだりふざけあったりするよつばちゃんは「無敵」だと思うのです。
因みに、今回ぼくの最もお気に入りのエピソードは第101話の「よつばとしけんべんきょう」ですねぇ。
ぼくは学生時代に小説形式でこの手の日常スケッチを20編(くらいだったかな?)ほど書いた事があるのですが、その経験から言っても、事件らしい事件も起こらず「物語」としてのまとまりを持たせ、更には特別な事もないのに「オチ」らしき結末をつけるというのは、作ってみると意外と難しいと分かります。
批評というのは、そうやって実際に自分で作ってみて気付く事が意外に多くあるものです(美術批評の場合でも、批評眼を養う目的で名作の模写をやったりもするものです)。
日常もの物語というのもそれで、さらりと描いていて簡単そうに見える割には、結構作るのはけっこう難しいのです。
そこから考えても、ぼく的には「よつばとしけんべんきょう」のオチは非常に綺麗に働いていてつくづく「上手いなぁ」と、思います。
『あずまんが大王』から思っていたのですが、あずま先生の「間」の取り方の感覚は、ゆったりと余裕があって一種独特な味わいがある。
そういう、せかせかいしないゆとりこそが、このマンガに漂っている優雅な時間性を感じさせる豊かさに繋がっているのかもしれなませんネ。
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