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【解答・解説編】オリックス版「全国学力・学習状況調査」

※まずは問題編をお読みいただいてから、解答・解説編をお読みください。

【解説】
国語の問題で大切なのは、「筆者が何を伝えたいか」という視点である。
この文章を通して読み取るべきポイントは、筆者の「怒り」である。
3連覇しておきながら、開幕7試合で8得点しか取れない貧打に対する「嘆き」である。

それを前提に「さとし」と「あきら」の会話を読むと、「さとし」が終始ネガティブなコメントをしているのに対して、「あきら」はポジティブな視点でそれをなだめるという構造になっている。

つまり筆者は、自分の怒りを「さとし」に投影し、「あきら」というキャラクターを相対させることにより、自らを慰めていると考えられる。

そこを読み取った諸君は、選択肢④『二人のオリックスファンが語っているように見えるが、実は一人の男が心の中で葛藤している』を選びたくなるところであるが、この問いでは、あくまでも「さとし」と「あきら」という2人について問われているので、④は適切とは言えないだろう。

次に「さとし」と「あきら」がオリックスファンなのかどうかを考えてみよう。

2人ともオリックスというチームに対して極めて豊富な知識を持っており、にわかオリ姫ではない、昔ながらのファンであることが会話の内容からも読み取れる。
そこで、選択肢①『二人ともオリックスファンである』を選んだ諸君も多いことだろう。

しかし、残りの選択肢②③をよく読んでみると、『~~は、オリックスファンとは言えない』と書かれている。
つまりこれは、「オリックスファンとしてのあるべき姿」が問われているのである。

終始オリックスに対する不平不満を口にする「さとし」は、オリックスファンと言えるのだろうか。
特に気になる発言として、『T-岡田の野球人生が終わりに近づく4打席』という言葉に着目すべきだろう。
オリックスの功労者であるT-岡田に対して、そのような言葉遣いをするファンがいるというのは、一般的には考えられない。

次に、前向きに未来を見据える「あきら」は、ある種、理想のファン像とも言える。
しかし一方で、これだけ開幕前に期待値を上げておきながら、単独最下位という現状に対して、平常心を保っていられるという事実自体が、一般的なファン心理とはかけ離れていると言わざるを得ない。

すると、どちらもファンではないのではないか、という考えも頭をよぎるが、そのような選択肢はない。
そこで、最初の視点に戻ってもらいたい。
この文章の根底にあるのは、作者の「怒り」である。

つまり、ファンはもっと怒るべきだと訴えているのだ。
「さとし」の怒りこそが、オリックスファンの本質であるということがこの文の趣旨である。

答え
②「さとし」はオリックスファンだが、「あきら」はオリックスファンとはいえない。

ちなみに・・・
⑤「どちらもオリックスの名監督である」と答えられた人こそ、真のオリックスファン。

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