当たり前のことを言う。「人はみんな、いつか死んでしまうのだから」
ある日の明け方。友だちが何人も亡くなる夢を見て、涙を流しながら目覚めた。
その夢が、私になにを伝えたかったのかは知らない。"夢占い"は必ず正しいとは言えないし。
わーーっと散々泣いたあと、「私が死んでしまったらどうなるんだろう。」と客観的に自分の死の姿と周囲の反応を想像するとともに、「今、なんのために私は生きているのだろう。」と最近の自分を振り返る。
4月から新しい環境になったから、家に帰れば多少のストレスや疲れですぐに寝てしまう。一方で、元気なときもある。そのとき、本を読んだり洋画を見たり記事を書いたり、やりたいことは山積みなのに、どうしてダラダラとスマホをいじっていたのだろうと馬鹿馬鹿しくなった。
時間は有限なのに。
そう、私たちは時間が限られている。今やりたいことをしないで、死ぬときに後悔したくない。どうでもいいことに時間を溶かすために生きているわけじゃない、と個人的には思う。
新しい環境になってから、いろいろな人と話すことが増えた。当たり前だけど、みんな考えていることも知っていることも、得意不得意も違う。これが正解不正解、善悪、そんなのない。
以前、「イライラして反発するのは無駄なだけだから、とりあえずその場では話を聞いて、あとは無視する方がいい。すべてを鵜呑みにする必要はない。」と言われたことがある。
少し前の私は、年上の人がいうことはなにもかも従うべきだと思っていた。たとえそれが理不尽でも、信じていた。でも、自分の好きなようにしていいんだよね。正解なんてない。
会社を辞めたいなら明日にでも辞表届を出したらいいし、付き合いたくない友だちとは縁を切ったらいい。そのぐらいで地獄に落ちるようなことはないし、死にはしない。
あなたも私も、今生きていることはそれだけで価値なんだから、もっと自分を解放していいじゃん。
だって人はみんな、いつか死んでしまうのだから。
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