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笑え

そんなこと言ったってね。
しんどい時に笑える人間なんて数少なくて、どん底まで落ちた時は砕けただけの心が底には散らばっていて破片で怪我をして、また泣いて。私は自分の意見を言葉にするのも苦手だし、"怒り"とかマイナスの感情をそのまま直球で自分のものにすることが出来ない。帰路についてる時とか、シャワーしてる時とか、寝る前とか、なんか漠然と人間が考え事をする時間に怒りの確定判子を押すから「その場で言って欲しい」なんて要望答えられるはずは無い。必ずその日の反省をするし、あの言葉でもしもあの人を傷つけていたらと沢山の後悔を募らせてから眠る。少しでも冷たくされたら「あぁ、やっぱりあの時。」などと思う。大体のことは自分の勘違いで「そんなこと気にしていたの?」と言われることが大半なのだけれど、そういう性分なもので仕方がない。無神経に言葉を形にして刃と気が付かず振り回すことの方が怖いし、私の生き方の美学には非常に反する部分がある。しんどい時も笑えとか、笑いにかえろ、みたいなものってどうにも暴力でしかない。音楽を聴いていたりしても「辛い時こそ笑え」みたいな歌詞にはどうも共感ができない。辛い時はないていいし、世界一自分が悲しくて可哀想だと思ったっていいと思う。感情に蓋をしてきて、振り返った時に「あの時あんなに苦しかったのに、薄く脆い言葉で強がったせいで」みたいなことが多々ある。泣くのが悪なんてことは無い。まぁ人目も気にせず子供のようにわんわん泣かれてしまっては時と場合によって迷惑をかけることになってしまうかもしれないけれど。
辛い時こそ笑え、なんてことは出来ないけど、辛い時でも笑える何か、没頭できる何か、を作ることはとても大事だと思う。まぁそれが私にとってはお笑いやアイドルを見ること、音楽を聴くこと、本を読むこと、楽器を弾くこと、で。多趣味で興味関心が失われることが無いのは、私の人生の中で、逃げ道が必要であったからなのかもしれない。共感できない歌詞が存在することはもちろんあるけれど、音楽は感情を共感を探しに、映画や小説はなるべく私よりも不幸な話を探しに、お笑いでは単純に笑い飛ばせるように、とか、笑い話に昇華させる技術から学んだりとか。感情を逃がすように、大きな陽を持って、負を制すように。はたまた、大きな負をもって、自分の中の負を逃がすように。「現実逃避はやめて…」なんて言葉、よく聞くけれど、エンターテインメントは逃げ道であっていい。今の私の大枠は、お笑いを見に行くことが逃避になっていて、実際お笑いを見るようになってからだいぶ精神の安定みたいなものが取れるようになってきた。何も考えずに出されたものを笑う。大人になればなるほど、空っぽになって笑う時間は減っていく。"あの頃みたいに"なんて場でも、大人という自制心がどこかに枷をかけていて、決してあの頃ではない。ケラケラと、ただ心から笑う。逃避でいい。それは娯楽のあるべき姿だし、現実すらも忘れられるエンターテインメントを作ることが出来るというのは、きっと演者やクリエイター側としても大成功では無いのかと思う。
私のように、負の感情を示すことが苦手とか、自分の口から言葉にすることが怖いとか、考えすぎちゃうとか、そう思っている人って沢山いると思う。そうじゃない人って多分、どれだけの月日が経っても理解は示してくれないし、心無い言葉をぶつけてくると思う。でもあなたの持つものは弱さじゃなくて優しさだと思うし、他人への配慮からくる自己犠牲って時には良くないものとされるけど、傷つくことも悩むこともあるけど美しいと思う。己の生きづらさを抱えながらも、優しさを捨てきれないってなんて愛おしいんだろう。十人十色だからね、これを読んで「それは違う」とか「逃げてるだけ」とか、思う人は思うと思う。それは貴方の美学なのでそのまま持って生きていいと思う。本当に、多分生き方とか価値観とかって、その人それぞれで本当に分かり合えると思っていても、どこかで齟齬が生じる場合だってあるし。
私の座右の銘の1つ、"驕らず、他者を否定しない" 。自分を正しいと過信しないように、他者の考えは否定しないように。というか、基本、自分以外の思考なんてもの変えれるはずもないし。一種、諦めのようなものにも感じるが、その人の理想とする自分がその形ならば、私がその人を変えてしまうのは勿体なさすぎるし、合わないならば自分から離れればいいからね。貴方を美しいと思う人と居たらそれで良いと思う。
いくら偽善と言う人がいたって、優しさじゃないと否定する人がいたとしたって、傷つけない選択を取ることが出来る自分が好きだし、善を行動に移せる自分が好き。不器用ながらに色々考えていると文章にする時考えた分の厚みが出る気がするし。いつか、私のように生きづらさを抱える人たちの居場所をどうにか作れたらいいな。現実を忘れられるような、優しい場所を、ここに来ればいいんだって思えるような、誰かの居場所を作りたい。その1歩として、どんなに深夜になってしまっても毎日の配信は続けていくつもりだし、何かしらの形で誰かの居場所になれるように頑張る。笑えなくてもいいから、一瞬だけでも忘れられるような、誰かの心の拠り所に、逃避場所になれるように。そして、いつか「笑え」なんて言われなくても、ふふっと少しでも口元を弛めて貰えるように。

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