アニメの脚本を書く上で視聴者が見ているものとライターが見ているものの違い


どうもこんばんは、織坂一です。
随分と前に今自分が学んでいることや思っているアレコレをnoteに書くといいましたが、それの第1弾です。


今回はタイトル通り、アニメの脚本を書く上で視聴者が見ているものとライターが見ているものの違いについてです。


「は?」と思うかもしれませんが、脚本を書いていて思ったんです。


1話単発のアニメシナリオではなく、「1クール通して全てシナリオを書くとなった場合、見え方が違ってこないか?」と。


書き手(シナリオライター)は物語の全てを1から10まで把握しているので(1クール通して脚本を書くならば)、物語全体自体で起承転結を考えています。


しかし、視聴者の場合はそんな全体図なんて知る訳がありません。


そのため、視聴者が知れるのは1話ごとにおける起承転結のみです。(過去に放送した作品などを一気見した場合は除きます)


結構、これに気付くか気づかないかで、脚本の描き方は違ってくると最近気づきました。


全体で見ている場合、というか私は伏線となる回や起承転結の転にあたる回を重要視していました。
ですが、よくよく考えたら1話自体、どこの話をとっても作品にとっては欠かせないものなんですよね。


ただ、毎回毎回盛り上がりを作ってしまうとそれはそれで……となるときはあるので、塩梅はかなり難しいのですが。


しかし、この1話自体の起承転結をしっかりしないと、視聴者的にも分からない部分もありますし、離れていく可能性も高いです。


……という当たり前の話を、脚本を書いていてふと思いました。


多分、私のような初心者ライターだとこの落とし穴に気付かないこともあるかもしれません。(逆に気づいていたらすごい)


正直ここまで読んでいて、「は? たったそれだけ?」と思うかもしれませんが、このズレというのは後々変わってくると思うんです。


なので、これは自戒です。


実際、今日まだ見ていない溜め撮りしていたアニメを見ていて、どの作品も1話ごとに起承転結はありました。
どこを疎かにする訳でなく、しかもこれが後々伏線などに繋がってくる訳ですから、本当にすごいですよね(語彙力壊滅)


今まで小説しか書いてこなかった自分としては、かなり衝撃が強かったです。


また裏を返せば、1話ごと気を抜けないって話でもあります。
例えば、何事もないギャグ回だったとしても、ここの作り込みが甘ければ、それこそ「面白くない」なんていわれて当然ですよね。


だからこそ、脚本は書くだけじゃなく、視聴者の目線となってみてみるのも重要なんだなぁと痛感した今日この頃でした。


短いですが、今回はここまでということで。
最後まで、閲覧ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?