甘々な彼氏は色んな意味で見えません 第7話・『君とぬいぐるみ』

唐突な告白であるが、私は幼いころからぬいぐるみや人形の類が大好きだった。
最初こそ興味はなかったが、妹が産まれて以降、妹がぬいぐるみで遊ぶことに興味を覚え、それに付き合ったのが始まりだったと今は思う。

そして私が中学に進学し、美術部に入った際。とある珍しい先輩がいた。
1個上の先輩で先輩は当時から、球体間接人形のような謂わば『ドール』というものが好きで、実際に何人ものドールをお迎えしていた。

私は初めてドールを間近で見たとき、こんな綺麗なものが世の中にあるのかと、それはさぞ驚いた。
正直先輩が羨ましかったし、部活中もドールに着せる衣装の調整をしていたのを羨ましいと思いながら見ていた記憶もある。
無論、私はドール1体がどれだけするのかもちろん調べた。ただ私は調べたとき、あまりの高額さに言葉を失ってしまう。

ドールは物にもよるが、50cmのボディでゆうに2万は超える。
これだけ高額なものなど、中学1年生に払えるわけがないし、なにより定期的なメンテナンスも必要である。
それらを考えると、ドールとの生活——所謂ドル活はハードルが高かった。

現に社会人となった今でも、手を出せない自分がいるし、一時期お迎えしたいドールがいたため、ひたすら出費を絞って貯金にも回した。
しかしドールを買おうとすれば、当然親に見つかる。

現在私は30歳ではあるが、実家で暮らしているため、プライベートなど家族に筒抜けなものだ。
そのため、家族にはどんなものを購入したかがよく分かる。


無論、母も私がドールをお迎えしたいことは前々から知っていた。しかしそのたびに「お金の無駄」だといい、買うことを許さない。
まぁ薄給だからこそ、親としては貯金しろと言いたいのだろうが、こんなのは理不尽である。
そして今日もスマホでドール専門店のサイトを見ながら、「いいなぁ……」と声を漏らす。

すると隣で寝そべっていた思念体のあるは、私のスマホをのぞき込んではこういった。


「おおっ、中々精巧に造られているね。綺麗だ」
「でしょ? 私も欲しいな~」
「でもイケメンの僕がいるじゃない」
「お人形でしか摂取できない栄養があんだよ。その栄養がなきゃだめなのさ……」
「うわやだ。僕以外で何かを摂取するなんて、そんなの食事ぐらいでいいじゃない」


そういって、或は露骨に顔を顰める。

最近になって気づいたのだが、私が胃を壊して以降、どこか或の態度が変わったように私は感じていた。
以前は私のすることをなに1つとして否定せず、まぁ飼い犬のごとくしっかりいうことを聞いてお手をしていたのだが、最近はどこか嫉妬の片鱗を見せるようになったのだ。
会社と異性の同僚と話していたりするのはもちろん、男友達とLINEするのもどこか不満そうである。

さらには、このように推し活や無機物への愛に対しても嫉妬の片鱗を見せる始末。
それをどこか怖いと思いながらも、私は今も或の言葉を飄々と返す。


「まぁ、買えないんだし。見てても辛いだけなんだけど」
「……なら、みなきゃいいのに」


或がそんな苦言を漏らし、なんやかんやでこの日は日付が変わってから床についた。

翌日。私は病院へ行き、その帰りは買い物でもしようかと思っていた。

先日胃を壊した私だが、同じく胃を痛めやすい父が母を説得してくれたのだ。
ゆえにお叱りがないわけだったが、病院で診てもらうとやはり医者から叱られるのは避けられなかった。
「これ以上悪化したら、また内視鏡での検査をしますからね」と言われ、私はカフェインや辛い物の摂取などを自ら禁じた。

病院までは母が送ってくれ、薬をもらった後は再び迎えにきた母と合流する。
車内では特にこれといった話をするわけでもなく、普段通り会話をしていた。

私が先日羨ましいと思ったドールの話をしていれば、母は「ふーん」とだけ返す。

母は基本明るく、どんな話題でも付き合ってくれる寛容な人だ。しかしなぜか人形の類の話だけは露骨に避ける。
いい加減なぜなのかはっきりさせたい――私はそう思ってしまった。

もしかしたら、お金の無駄という以外にも理由があるのかもしれないと。


「ねぇ、お母さん。私がドール買いたいって言ったらどうする?」
「ドールって、あれよね? 日本人形とかそういうの」
「少し違うけども……。ほら、中学のときから欲しい欲しいいってたじゃん」
「ああ、あれか」


すると母は淡々とこう返す。


「いや、お母さんちょっと苦手なのよ。別に人の趣味に口出したくはないけど、できることなら家にあまり置いて欲しくないなぁ」


私はそれに対し、「そっか」とだけ返す。
まぁ、こんなことを言われてしまったら私も買うのを躊躇ってしまう。しかし周囲が羨ましくて堪らない。

確かに或が現れて以降の私の生活は、どこか色が付いていた。
友人が入籍したのをSNSでみかけようが、今では「ふーん」と受け流せるほど。だから私はこの生活に不満はない。
ただそれとこれとは別で、幼いころから抱いていた憧れは中々拭えない。

もどかしさに俯く中、母は「買い物に寄っていってもいい?」と言ったので、私もついていくことにした。

正直、母の言葉には不満しかなかった。
駄々を捏ねているといえばそこまでだが、どうしてもこのイライラはぬぐえない。
母が夕飯の買い物を済ます間、私は書店へ行き、最近出た漫画の新刊を2冊ほど買う。

そしてその後、母と待ち合わせ場所にした雑貨屋でとにかく時間を潰していた。
無論、或もついてきてはいるが、彼もどこか私を気にかけている。恐らく私のもどかしさが分かっているのだろう。そのため、今日はどこか大人しい。
そして私が雑貨屋をぶらついていると、ふとある1個のぬいぐるみが目にとまった。


「これ、ぽん助だ」


ぽん助というのは、父が誕生日にくれた猫のぬいぐるみの渾名である。
実際、このぬいぐるみには販売元が付けた正式名称があるのだが、私はそれを露知らずに、勝手にぽん助と名前をつけて可愛がっていたのだ。

そしてぽん助の横を見てみると、白い猫や灰色の猫のぬいぐるみなどがあった。
みるからにして、この子たちはなにかのシリーズものなのだろう。

可愛い――そう思ったとき、数多く並ぶぬいぐるみたちの中で、ある1つのぬいぐるみと視線があった。

そのぬいぐるみは真っ白な猫で、首に青いリボンが巻いてある。
どこか雰囲気が或に似ていた。
私はぬいぐるみをじっと見ていると、或は背後から「買っちゃえば?」と茶々を入れ始める。


「え!? でも、でもなぁ……」
「正直お母さまの言葉でショックを受けているんだろう? 別にこんなときぐらい、散財したってかまわないだろうし」
「うぐ……」


ちら、と再び私が目のあったぬいぐるみへと視線を向ける。すると背後からダミ声が聞こえてくる。


「恋ちゃん、恋ちゃん。僕を買って! 僕はこのままじゃ売れ残りになっちゃうよ~。そんなの寂しいよ~」


無論、この声は或のもの。
どうやら或も私にぬいぐるみを買って欲しいのか、やけにねじ曲がった催促をしてくる。
はぁ、とうなだれた私は、そのぬいぐるみを手に取る。

価格は800円程度。ぽん助より少し大きくしっかりしているのに、これで800円とは安価といってもいいだろう。
さっさと会計を済まそう――そうレジに向かう際、私はもう1つの人形に目が留まる。

目に留まったぬいぐるみは、今手に取ったぬいぐるみと同じシリーズもののようで、どうやら女の子のようだった。その愛らしさに私は心を射止められる。それはどうやら或も同じようで。
息を荒くして、或は私の肩を何度も叩いてはこう言った。


「ねぇねぇレディ! この子、君にそっくりじゃないか!? ねぇ!!」
「はぁ? お前の目はビー玉か?」


或曰く、可愛らしいこの子がどうやら私と重なったらしい。
こいつの感性と目玉は本当に大丈夫なのかと心配しつつ、私はもう1度その子へと視線を向ける。
可愛い、というのは確かにある。しかし内心私は邪心を燻ぶらせつつあった。

もし、この白い猫のぬいぐるみを或と見立てるなら、この子を私と見立ててもいいのでは? ——いや、落ち着け私。さすがにそれは痛すぎるから、この妄想と邪心はすぐさま忘却しろ。

私はこの黒い感情の処理に葛藤していれば、なぜか突然或が床を転がり始める。
そしてゴロゴロと床を転がっては、お菓子を買ってもらえずに強請る幼児の如くこう言った。


「やだやだやだ!! 僕はこれが欲しい! この子がいいもん! 買ってってば~~~!!」


無様に床を転がる或を見て、正直私はドン引きである。

おい貴様、一体いくつだ?
確かに或の年齢は不明だが、どうみてもタッパが170後半あるその体でよくも床を転がれるなと侮蔑の視線を向ける。
嫌だ嫌だと駄々を捏ねる或を見て、私は深くため息を吐く。
そして、或へとこう聞く。


「じゃあ、この子は或がかわいがるのね? ぬいぐるみだってただ飾っとけばいいわけじゃないんだから」


と或を注意した瞬間、妹と母が買ってくれたくまのぬいぐるみをアンティークにしてしまった罪悪感が押し寄せる。
いや、まぁ確かに置き物にしたら可哀そうだ。しかしこの歳でぬいぐるみで遊ぶのはいささか辛いものがあるんだ、分かってくれ。
幸い矛盾は指摘されず、床を転がっていた或は「いいの!?」と嬉しそうな顔をして勢いよく起き上がる。おい、お前の身体のバネはどうなってんだ?


「あー、いいですよ。どうせコーヒーも飲めないから少し出費は浮くしね」
「ありがとう、レディ! 僕、この子を一生大事にするよ!」


その言葉に一瞬、キレかける私だが、ふと我に返ればいったい自分はなにを血迷ったのかと今までのことを全て思い返す。

まさかドールを購入できない悔しさから、偶然或に似たぬいぐるみがあったからと乗り換えるのはなぜだ?
というよりも、なぜ私はこうも見立てをしているのだ?

とにかく正気に戻れと願うばかりだが、別にいいやという気持ちもある。

別段、こういったことも珍しくはないはず。
他者に自分を投影して戯れるなど、誰もが人生で1度は経験していることだろう。

結果、私は2つのぬいぐるみをお買い上げし、帰ってきてからこの子たちを1度綺麗にすることに。
可哀そうかもしれないが除菌スプレーで除菌し、ベランダで日が暮れるまで干しておいた。

2時間後、干したぬいぐるみを母が届けてくれ、私は白く或によく似たぬいぐるみを思い切り抱きしめる。
一方、或も強請ったもう片方のぬいぐるみを頬を緩めながら撫でている。

ああ、正に幸福だ。我が人生に一片の悔いはなし――なのだが。


「お前そんなにデレてなに!? そんなにその子がいいのか!? 私よりその子が大事か!? いっつもケツに敷かれるしか能のないマゾが!」
「え? なんでいきなりそんな理不尽なこというの? 君が大事にしろって言ったんじゃないか」
「そうだけど! そうだが、なんかこう……」


うん、複雑だ。けれどもこんなこと口に出来るはずもない。
諦めた私は、とにかく抱きしめたぬいぐるみの腹を延々と撫で続ける。

神様、出来るなら来世はぬいぐるみに生まれ変わらせてください。


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